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ケンタッキー州で初めて競馬が行われたのは1789年のレキシントンでのこと。そこから西へ126キロメートル離れた同州最大都市・ルイヴィルに住んでいたM.L.クラーク大佐はレキシントンを上回る競馬開催の構想を抱き、1872年の英ダービーを視察し、その規模や熱気に圧倒されて帰国する。クラークは直ちに地元有志を募り、二人の叔父ジョンとヘンリーのチャーチル兄弟から32ヘクタールの土地を借り受け、チャーチルダウンズ競馬場を築き上げて、1875年5月17日に開場し、第1回ケンタッキーダービーそしてオークスを開催した。その後もクラークは競馬場運営に関わるが財政問題が徐々に顕著となり、1902年にC.グレインジャーが経営を引き継ぎいでM.J.ウィンとともに合理化を進め、翌1903年には早くも黒字化を達成している。
そして次にチャーチルダウンズ競馬場が手掛けたのは、州内外の競馬場を傘下に収めアメリカで有数の競馬事業体として拡大を目指しリーダーとしての地位を得ることであった。20世紀当初のアメリカでは他の地域でも競馬が始められ、当然イギリス競馬を規範として番組が作られる中で、「我こそがアメリカのダービー開催地である」という競争があったのだが、競馬場買収で繋養馬を多く抱え、他社よりいち早くマーケティング戦略を展開して存在感を高めていたケンタッキーダービーが「アメリカのダービー」として認められるようになった。北半球の競馬主要国でアメリカだけが国名の付いたダービーを行っていないのはこうした事情がある。そのケンタッキーダービーは当初ダート2400メートルで開催されていたが、1896年から2000メートルに変更され現在に至る。同レースはアメリカで最も長く開催を続けるスポーツイベントとして記録され、「競馬は知らないがケンタッキーダービーは知っている」と言われるほどの春の国民的行事に育っている。
現在チャーチルダウンズ競馬場は60ヘクタールの敷地を有し、内側に1408メートルの芝馬場を、外側に1609メートルのダート馬場を持ち、ブリーダーズカップも9回開催するなど、アメリカで有数の競馬場として知られている。また、2021年の春夏開催後に芝の全面張り替えを行い、今年の5月から開催を再開した。ダート走路についても、以前よりも増して安全面で配慮し、コース内外の均等化や、降雨時のメンテナンス作業強化に取り組んでいる。基本的に長年同じ形態のダートコースを維持しているため、往年の優勝馬と現役馬の力量比較の想像を楽しめる。
そして、第150回目の開催に向け、3年間で2億ドルの予算を投じて施設改修を行った。パドックの喧騒は、ダービー風物詩のひとつも言える独特の雰囲気であったが人馬の安全を確保するために大幅に拡大し、それを囲む観客席を2階構造とし、上階にテーブル席を配置している。第1・2コーナー間に新設されたスタンドは、「ファーストターン(最初のコーナー)」と名付けられ、アメリカ特有の前半の激しい位置取りを間近で見られるように設計されている。
ケンタッキーダービーでは出走関係者(馬主、生産者)が厩舎地区から外ラチ沿いを歩く「The Walkover」と呼ばれる行進が行われる。この新設スタンドにより、15万人のスタンディングオベーションはより強烈なメッセージと激励を人馬に与えるものとなろう。
文:吉田 直哉
(2024年4月現在)
ケンタッキーダービーの距離は2000メートル。出走権を獲得するためのポイント指定競走として行われる他場の前哨戦が、1600メートルから1900メートルの間でグランドスタンド正面からの発走となるため、ダービー出走馬は先手をとって第1コーナーへの有利な位置を取り、そのスピードを維持して成績に繋げるというレースに取り組んできた。
2000メートルは言わば未知の距離、しかも第4コーナーにゲートが設置されるため、序盤は15万人の声援を浴びることになる。そのため、まず試されるのは鞍上との意思疎通であろう。こうした理由で未だに出走関係者の多くは内側の枠を好む傾向にあり、優勝するためには前々で競馬をするのがひとつのセオリーとなっている。そして向正面では、いったん馬を落ち着かせてライバルたちの位置取りを確認しながら第3・4コーナーを回り、最後の直線での攻防を迎えるというパターンが多い。
一方、馬場のバイアスは変化したものと考えられる。実は2023年春開催に事故が数件あり、主催者は開催を州内エリスパーク競馬場へ移して、馬場改修に踏み切ったためだ。同年9月下旬から始まった秋開催では、時計がかかり控えた馬が勝つパターンも目につくにようになった。第150回のケンタッキーダービー・オークスは改修後初の開催となるわけで、各陣営はバイアスを把握するのにも時間を要することになりそうだ。
ところで、かつてはケンタッキーダービーに勝つためのジンクスがいくつかあった。「2歳戦から使い出してキャリアを十分に積み3歳春に備える」、上述で紹介した前々で競馬するというのもそのひとつだ。ただ、それは賞金順で出走権を与えられていた時のもので、ここ数年は異なるアプローチで挑む陣営が増えてきた。まず3歳デビューでもいいという考えで、これは三冠馬ジャスティファイが当てはまる。そして後半勝負を教えるために長い距離(1600メートル前後)のレースを中心にローテーションを組むというものだ。そんな新しい傾向を受けて「勝負は最初の直線」と言い始める厩舎関係者もおり、実際チャーチルダウンズ競馬場を拠点にする騎手たちの強みにもなっている。
文:吉田 直哉
(2024年4月現在)