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競馬場・コース紹介

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ベルモントパーク競馬場

国内を二分した南北戦争(1861年から1865年)を経て、アメリカが再び国としてまとまり始めた19世紀後半。競馬の世界でも競走体系が各地域で整備され、ヒート競走(定められた距離を数回走らせ2回以上先着した方が勝利という競走)が徐々に減っていき、現在のような馬齢や負担重量を基にした運営方法へ変更されていった。各地で充実した設備を持つ競馬場が造られていったが、ベルモントパーク競馬場が開場したのは1905年5月4日。前世紀の熱気がまだ残る20世紀初頭のことであった。

東海岸最大の国際都市へ発展したニューヨーク市に、それに見合う競馬場を開設する計画が実行に移されたのは1902年。アメリカ財界の有力者オーガスト・ベルモント2世、そして海軍長官を務めたこともあるウィリアム・ホイットニーを中心に、マンハッタン島の東隣にあるクイーンズ郡とナッソー郡の境界線に650エーカー(約263ヘクタール)の広大な敷地を確保、北米で最大級の競馬施設を完成させた。「ヨーロッパ風」がコンセプトとなった馬場とグランドスタンド。1周1800メートル以下のダート馬場がメインコースという競馬場が多いアメリカにあって、ベルモントパーク競馬場のダートコースは1周2400メートル。向正面外側にある並木の背後にも広大な敷地(現在は一般駐車場として利用)を有しており、当時の面影を感じ取ることができる。また、開放的な西海岸の競馬場とは異なり、パドックやクラブハウス、ジョッキールーム等はクラブ会員である馬主を中心に考えて配置されている。施設の老朽化で1968年に建て替えたグランドスタンドもこうした東部仕込みで、壁に使用されている煉瓦の色合いが目に優しい。

前述のベルモント2世の父であり、アメリカンジョッキークラブの初代会長であるオーガスト・ベルモント1世の名から命名されたこのアメリカ三冠競走最終戦・ベルモントS(1867年創設)は、本競馬場が開場された1905年から現在の地で行われている。

現在、ベルモントパーク競馬場は年2回開催。即ち、初夏(4月下旬から7月)、そして初秋(9月上旬から10月末)までの2開催を行っている。6月のベルモントS(G1・ダート2400メートル)が有名であるが、3歳牝馬の重要な重賞競走であるマザーグースS(G2・ダート1700メートル)、エイコーンS(G1・ダート1600メートル)、ベルモントオークス招待S(G1・芝2000メートル)の開催地でもある。またブリーダーズカップクラシックの重要な前哨戦で、3歳馬と古馬との力比べの場として知られるジョッキークラブゴールドカップS(G1・ダート2000メートル)、ネヴァーベンド(1962年)やアリダー(1977年)など優勝馬から多くの名種牡馬が生まれている2歳馬の米シャンパンS(G1・ダート1600メートル)、そして芝の有力馬が集うマンノウォーS(G1・芝2200メートル)も開催されており、全てのジャンルにおいて北米の競馬体系を支える存在となっている。

近年、ニューヨーク州は芝の招待競走の充実を図り、ヨーロッパや日本から競走馬招致に力を入れている。今後ベルモントパーク競馬場は、より日本の競馬関係者に知られる海外遠征先の選択肢となるだろう。

文:吉田 直哉
(2019年5月現在)
注記:文中敬称略

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ベルモントパーク競馬場ダート2400メートル

ベルモントパーク競馬場 コース図

ベルモントパーク競馬場の最大の特徴は1周2400メートルというアメリカでは最大級のレイアウトで、当然コーナーも他場と比較してゆったりと設計されている。従って、ホームストレッチからの発走となるダート2400メートルのレースについては、発馬直後の位置取り争いが他場より厳しくなく、動きがあるのは2コーナーを回ってからということが多い。また、ニューヨーク州にあるサラトガ競馬場とベルモントパーク競馬場のダートコースは、やや砂を深めに維持して馬場整備を行っていることで知られている。即ち、スピードに加えてパワーとスタミナが他場より要求されるため、遠征馬が慎重にレースを進める傾向がある。これらの特徴により後半勝負のレースが多くなっている。

前述したように広いコースレイアウトではあるが、ゴール地点が4コーナー寄りにあるため、直線距離は330メートルと比較的短い。このコースで騎乗した経験のある複数の騎手に話を聞いたが、最後のスパートで勝負を決めるには、3コーナー突入後にあまり内ラチから離れず、距離のロスなく最終コーナーへと抜けるラインを確保する必要があるとのことだ。4コーナーからサッと外側に持ち出して先行馬を抜くのは少々難しいようである。

ベルモントSはアメリカでは数少ないダート2400メートルのG1競走で、短・中距離のレースが多いアメリカの競馬人にとっては、このレースを私達が菊花賞をイメージするような感覚で捉えているといってもいいだろう。レースレコードは1973年の三冠馬セクレタリアトの2分24秒0。しかし、近年は2分30秒を僅かに切るタイムでの決着が続いている。

フルゲートを割ることが多く、そのため他の三冠競走と比較して枠順で展開が左右されるリスクは高くない。一方、フルゲートにならないということは「出走しやすい」ということでもあり、年によっては「イチかバチか」という感じで出走する馬が出てくることがある。こうした中には先行逃げ切りで番狂わせを狙う馬や、そもそも2400メートルのペース配分ができない馬もおり、道中ではそれらに惑わされず自分のリズムを守ることが重要になる。また、余力を温存するためにケンタッキーダービーから中1週で行われる三冠第2戦プリークネスSに出走せず、ベルモントSに照準を合わせる馬がいれば、これらをマークする必要も出てくるだろう。また、このレースの勝ち馬には比較的大型馬が多い。切れるスピードを持つ馬より、持続するスピードを持つ馬に有利な傾向を示唆するものかもしれない。

三冠競走最終戦ベルモントSの別名は「ザ・テスト・オブ・ザ・チャンピオン」。チャンピオンの称号を得るためにはダート2400メートルを克服する体力と、自らを律することができる精神力が馬に要求される。

文:吉田 直哉
(2019年5月現在)

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ベルモントパーク競馬場 紹介動画(2019年制作)

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