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北米の主要軽種馬生産地として発展してきたケンタッキー州レキシントン周辺は、「ブルーグラス地方」という名称でも親しまれ、それは州のあだ名にもなっている。19世紀に入ってからのレキシントン市の拡大はケンタッキーアソシエーション競馬場(以下、KA)の運営環境にも影響を与え始め、同場は1933年に107年の歴史を閉じることになった。その代替地として白羽の矢が立ったのが同市西郊にあったジャック・キーンが所有する147エーカーの農地であった。キーン家はKAの運営にも関わっており、ジャック自身も競馬や調教への情熱を持ち敷地内に1,700メートルのダート馬場を作り石灰岩を用いた頑強な造りの自宅兼厩舎を構えていた。この厩舎はグランドスタンドの一部として現存する。
競馬場の移転の話が出た当時は世界大恐慌による不景気のどん底でキーンの夢を打ち砕いたが、それでも競馬に情熱を傾ける裕福な生産者兼馬主たちがキーン家の夢を引き継ぎ、競馬場を造り上げて1936年10月から競馬開催を始めた。他の主要競馬場と異なるのは創立時に民間非営利組織として登記したことだ。当時から現在に至るまで、キーンランドの運営理事は生産者で占められており、つまり生産者団体が競馬を運営するユニークな形態が採用された。正式法人名がキーンランド「協会」なのはそのためである。
ところで、本WEBの閲覧者の多くは「キーンランド」と聞けば、競馬場よりもセリを連想するかもしれない。太平洋戦争まで北米の主要セリ会場として機能していたのはニューヨーク州北部のサラトガスプリングスで、8月上旬に開催する「サラトガセール」ではケンタッキー州産1歳馬の多くが売却されていた。しかし、1941年に勃発した太平洋戦争で国内輸送が軍事物資優先とされ1歳馬をニューヨークへ送れなくなり、仕方なくキーンランドで開催したことが現在のキーンランドセールに繋がった。毎年定期的セリをキーンランドで行うようになったのは1943年のことである。
147エーカーから始まったキーンランド協会の取り組みは、現在1,234エーカー、厩舎53棟の規模に拡大。約9,000席のグランドスタンドに加えて、2026年ブリーダーズカップに向け増築された1,000席が追加された。毎年4月と10月の2ヶ月のみ開催し、春はケンタッキーダービー・オークス、秋はブリーダーズカップの前哨戦開催地として重要な位置を担い、全天候型馬場や他場より優れたダート馬場の設置で開催以外でも多くの厩舎が通年拠点を置いている。
文:吉田 直哉
(2026年10月現在)
注記:文中敬称略


最大の特徴は米国で唯一1周1,700メートルのダートコースであることだ。1930年代に造られた馬場は2,000メートルのレースをする前提で設計されておらず、4コーナーのシュートもない。そのため、発馬後から第1コーナーまでの距離が短めで、向正面に入る前に先行馬に離され過ぎないための位置をとることが重要だ。ちなみに同場で唯一行われるダート2,000メートルがブリーダーズカップクラシックである。
2006年に全天候型馬場を導入したが、追い込み馬有利の特性に変わり不評が増えたために2014年にダートへ戻している。その際、全天候用に新設した地下の排水設備をそのまま残し、バンク角を抑えて枠順による不利がないよう配慮している。さらに馬場整備器具も更新し隣接するレキシントン空港と同じ気象予想システムを導入して天候対策も十分だ。さらりとした粘土質の馬場は馬にとって走りやすいわけで、先行馬が残ったりそのまま逃げ切るケースも多くなるのがキーンランド競馬場の特徴だ。
ゴールの位置は第1コーナーからやや離れたグランドスタンド中間寄りだが、第4コーナーからゴールまでの距離は2年連続でブリーダーズカップを開催したデルマー競馬場よりも80メートルほど長く設定されている。意表をついて飛び出した馬をどう捕らえるか。騎手の力量も問われるコースといえそうだ。
文:吉田 直哉
(2026年10月現在)