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有力騎手、調教師、馬主、種牡馬紹介

調教師(有力騎手、調教師、馬主、種牡馬紹介)

  • サイード・ビン・スルールSaeed bin Suroor

    1968年10月10日生まれ。ドバイ出身。元々はドバイで警察官をしながら、馬の調教を行っていた。1994年に調教師免許を取得すると、ドバイのモハメド殿下の目に留まり、翌1995年にそれまでのヒラル・イブラヒム調教師に替わって、その前年に組織されたゴドルフィンの専属調教師に抜擢された。
    すると、その年の4月にレッドビショップでアメリカのG1・サンファンカピストラーノ招待Hを制すと、5月にはヴェットーリで仏2000ギニー(G1・フランス)、ハートレイクで日本の安田記念(GI)、6月にはムーンシェルで英オークス、ラムタラで英ダービー、7月にはラムタラでキングジョージ6世&クイーンエリザベスS、8月にはホーリングで英インターナショナルS(以上、G1・イギリス)、そして10月にはラムタラで凱旋門賞(G1・フランス)と次々に大レース勝ちを記録。瞬く間に一流調教師の仲間入りを果たした。
    その後も数多くの主要レースを制しており、たとえば1998年にケープヴァーディーで英1000ギニー(G1)を勝ったことで完全制覇となったイギリスクラシックは計12勝。そのほか、凱旋門賞はラムタラ(1995年)、サキー(2001年)、マリエンバード(2002年)で3勝、キングジョージ6世&クイーンエリザベスSはラムタラ(1995年)、スウェイン(1997、1998年)、デイラミ(1999年)、ドイエン(2004年)で5勝、ブリーダーズカップターフ(G1・アメリカ)はデイラミ(1999年)、ファンタスティックライト(2001年)で2勝、ドバイワールドカップ(G1・UAE)にもアルムタワケル(1999年)ドバイミレニアム(2000年)、ストリートクライ(2002年)、ムーンバラッド(2003年)、エレクトロキューショニスト(2006年)、アフリカンストーリー(2014年)、プリンスビショップ(2015年)で最多となる7勝を挙げている。おおよそ11月〜4月はドバイ、それ以外はイギリスのニューマーケットが調教拠点。イギリスのチャンピオントレーナーは1996、1998、1999、2004年の4回。ドバイワールドカップ開催における34勝は2位のマイク・デコック調教師に22勝差をつける断然の首位。

  • チャーリー・アップルビーCharlie Appleby

    1975年7月5日生まれ。イギリス出身。幼少期からポニーやアラブ馬のいる環境に育ち、騎手になるために16歳でイギリスの競馬学校(British Racing School)に入学。その後、往年の名騎手レスター・ピゴットの夫人であるスーザンの厩舎で調教に携わっていたが、やがて体重の問題で騎手になることを断念した。
    スーザンの引退に伴い、1995年にデイヴィッド・ローダー厩舎に移り、トラベリングヘッドラッド(遠征主任)に就任。1998年にローダー調教師がフランスでゴドルフィンの2歳馬の調教を任されるようになったことで、ゴドルフィンとの関係ができた。2002年にローダー調教師がゴドルフィンから離れると、今度はサイード・ビン・スルール調教師の下へと移り、その後は2010年にゴドルフィンの専属調教師となったマームード・アル・ザルーニ調教師の下でもアシスタントとしてさらなる研鑽を積んだ。
    ゴドルフィンの専属調教師の座に就いたのは2013年7月25日。マームード・アル・ザルーニ調教師が管理馬に禁止薬物(アナボリックステロイド)を使用したことで8年間の資格停止となったことを受けてのもので、その3日後には早くもイギリスで初勝利を挙げ、11月にはアメリカのブリーダーズカップジュベナイルターフをアウトストリップで制してG1初制覇を果たした。
    2014年10月にはミドルパークSをチャーミングソートで制して母国イギリスで初めてG1に優勝。2016年にはジェベルハッタ(G1・UAE)をトリスター、エクリプスS(G1・イギリス)をホークビル、マルセルブーサック賞(G1・フランス)をウーエイダで制して年間G1・3勝。過去最高のシーズンを過ごした。おおよそ11月〜4月はドバイ、それ以外はイギリスのニューマーケットが調教拠点。

  • マイク・デコックMike De Kock

    1964年2月14日生まれ。南アフリカ出身。競馬とは縁のない家庭で育ったが、ヨハネスブルク郊外のニューマーケット競馬場(現在は廃止)が近かったこともあり、まずはファンとして競馬に興味を持つようになった。
    高校卒業後、南アフリカ軍の騎馬隊で馬の管理に携わった後、高校時代からの友人で、やがて調教師と大成するデイヴィッド・フェラリス(南アフリカのチャンピオントレーナー4回。香港で年度代表馬のヴェンジャンスオブレインなどを管理)の紹介で、デイヴィッドの父で南アフリカのチャンピオントレーナーにも輝いたことのあるオーモンドの厩舎で厩務員となり競馬界でのキャリアをスタート。その後、リッキー・ハワードギンズバーグ厩舎に移ると、そのハワードギンズバーグ調教師が1987年に急死したことに伴って、1988年にわずか23歳の若さで厩舎を引き継いで開業。その翌年の4月にはイヴニングミストでアドミニストレーターズチャンピオンS(南アフリカ)を制してG1初制覇を果たした。
    以降、数々の名馬を擁して南アフリカの大レースを次々に制覇。1999年にはホースチェスナットでケープアーガスギニー、サウスアフリカンクラシック、サウスアフリカンダービー(以上、G1)を制して史上初となる南アフリカ三冠を達成したほか、ジンバブエ産のイピトンビで2002年のダーバンジュライ(G1)、グレイズインで2004年のダーバンジュライ(G1)、イググで2011年のダーバンジュライと2012年のJ&Bメット(G1)に優勝。南アフリカのチャンピオントレーナーには計8回輝いている。
    また、常設の厩舎を構えるドバイでもドバイデューティフリー(G1)を2003年イピトンビ、2004年ライトアプローチで連覇したほか、2008年のドバイシーマクラシック(G1)をフジキセキ産駒のサンクラシークで制し、2007年にはアジアティックボーイで同国史上初となるUAE三冠を達成するなど管理馬が活躍。イググとアジアティックボーイの馬主であるドバイのモハメド・ビン・ハリファ殿下とは関係が深く、殿下の持ち馬では、他にアーキペンコで2008年のクイーンエリザベス2世カップ(G1・香港)、イーグルマウンテンで同じく2008年の香港カップ(G1・香港)、リザーズディザイアで2010年のシンガポールエアラインズインターナショナルカップ(G1・シンガポール)などを制している。

  • 備考1:ドバイワールドカップデー諸競走など、アラブ首長国連邦(UAE)における大レースにおいて活躍が顕著なトレーナーを有力調教師として紹介した
  • 備考2:文中敬称略

文:秋山響(TPC)

(2017年3月現在)

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