1990年にデビュー。無敗の4連勝で臨んだ1991年の皐月賞(GⅠ)を制覇。続く日本ダービー(GⅠ)も圧倒的1番人気に応えて優勝し、父シンボリルドルフとの親子での無敗の二冠を達成する。しかし、レース後に骨折が判明し、菊花賞(GⅠ)には出走ができず三冠に挑戦することはできなかった。
翌1992年、復帰戦の大阪杯(GⅡ)を楽勝したが、メジロマックイーンとの直接対決で盛り上がった天皇賞(春)(GⅠ)は完敗の5着。その後再度骨折が判明し、休養後に臨んだ天皇賞(秋)(GⅠ)も7着に敗れる。だが、続くジャパンカップ(GⅠ)は5番人気と評価を落とすも、レース史上最強とも言われた外国馬勢を相手に堂々の勝利をあげ、父シンボリルドルフとの親子制覇を達成した。
ジャパンカップを制しファン投票1位で臨んだ有馬記念(GⅠ)であったが、スタート後に腰の筋肉を痛めた影響もあり11着に敗れてしまう。翌1993年は再び休養に入り、その年の宝塚記念(GⅠ)を目標に調整を進めていたが再び骨折が判明、復帰は有馬記念(GⅠ)となる。レースは人気のビワハヤヒデが直線で抜け出したところを、トウカイテイオーが並びかけて競り合いを制し、実に1年ぶりのレースでGⅠ競走を優勝するという大偉業を成し遂げた。
トウカイテイオーTokai Teio
1988年4月20日 牡 鹿毛
父:シンボリルドルフ 母:トウカイナチユラル
冠名+帝王
開催日 | レース名 | 開催場所 | 着順 | 騎手 | コース・距離 | タイム | 1(2)着馬(注釈) | レース映像 |
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1990年 12月1日 |
3歳新馬 | 中京 | 1 | 安田隆行 | 芝1800 | 1:52.9 | (カラーガード) | |
1990年 12月23日 |
シクラメンS | 京都 | 1 | 安田隆行 | 芝2000 | 2:03.8 | (イイデサターン) | |
1991年 1月19日 |
若駒S | 京都 | 1 | 安田隆行 | 芝2000 | 2:01.4 | (イイデサターン) | |
1991年 3月17日 |
若葉S | 中山 | 1 | 安田隆行 | 芝2000 | 2:03.6 | (アサキチ) | |
1991年 4月14日 |
皐月賞(GⅠ) | 中山 | 1 | 安田隆行 | 芝2000 | 2:01.8 | (シャコーグレイド) | |
1991年 5月26日 |
日本ダービー(GⅠ) | 東京 | 1 | 安田隆行 | 芝2400 | 2:25.9 | (レオダーバン) | |
1992年 4月5日 |
産經大阪杯(GⅡ) | 阪神 | 1 | 岡部幸雄 | 芝2000 | 2:06.3 | (ゴールデンアワー) | |
1992年 4月26日 |
天皇賞(春)(GⅠ) | 京都 | 5 | 岡部幸雄 | 芝3200 | 3:21.7 | メジロマックイーン | |
1992年 11月1日 |
天皇賞(秋)(GⅠ) | 東京 | 7 | 岡部幸雄 | 芝2000 | 1:59.1 | レッツゴーターキン | |
1992年 11月29日 |
ジャパンカップ(GⅠ) | 東京 | 1 | 岡部幸雄 | 芝2400 | 2:24.6 | (ナチュラリズム) | |
1992年 12月27日 |
有馬記念(GⅠ) | 中山 | 11 | 田原成貴 | 芝2500 | 2:34.8 | メジロパーマー | |
1993年 12月26日 |
有馬記念(GⅠ) | 中山 | 1 | 田原成貴 | 芝2500 | 2:30.9 | (ビワハヤヒデ) |