1983年にデビューし、その年は無傷の3連勝。翌1984年も無敗のまま皐月賞(GⅠ)、日本ダービー(GⅠ)、菊花賞(GⅠ)を制し、中央競馬史上初の無敗のクラシック三冠馬となった。更に同年の有馬記念(GⅠ)も、1歳年上の三冠馬ミスターシービーやカツラギエースなどを破り優勝した。続く1985年も天皇賞(春)(GⅠ)、ジャパンカップ(GⅠ)を制覇、国内最終戦となった有馬記念では1歳年下の二冠馬ミホシンザンに圧勝し、史上初のGⅠ7勝を達成した。
翌1986年は海外遠征に挑戦したが、初戦のサンルイレイステークス(G1)のレース中に故障し6着に敗れ、このレースを最後に引退した。
引退後は種牡馬としてトウカイテイオーなどを輩出し、自身も1987年に顕彰馬に選定された。
シンボリルドルフSymboli Rudolf
1981年3月13日生 牡 鹿毛
父:パーソロン 母:スイートルナ
冠名+神聖ローマ帝国の皇帝ルドルフ1世に因んで
開催日 | レース名 | 開催場所 | 着順 | 騎手 | コース・距離 | タイム | 1(2)着馬(注釈) | レース映像 |
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1983年 7月23日 |
新馬 | 新潟 | 1 | 岡部幸雄 | 芝1000 | 0.59.2 | (ブロークンヒル) | |
1983年 10月29日 |
いちょう特別 | 東京 | 1 | 岡部幸雄 | 芝1600 | 1.37.3 | (エビスジョウジ) | |
1983年 11月27日 |
3歳オープン | 東京 | 1 | 岡部幸雄 | 芝1600 | 1.39.9 | (ハルーダ) | |
1984年 3月4日 |
弥生賞(GⅢ) | 中山 | 1 | 岡部幸雄 | 芝2000 | 2.01.7 | (ビゼンニシキ) | |
1984年 4月15日 |
皐月賞(GⅠ) | 中山 | 1 | 岡部幸雄 | 芝2000 | 2.01.1 | (ビゼンニシキ) | |
1984年 5月27日 |
日本ダービー(GⅠ) | 東京 | 1 | 岡部幸雄 | 芝2400 | 2.29.3 | (スズマッハ) | |
1984年 9月30日 |
セントライト記念(GⅢ) | 中山 | 1 | 岡部幸雄 | 芝2200 | 2.13.4 | (オンワードカメルン) | |
1984年 11月11日 |
菊花賞(GⅠ) | 京都 | 1 | 岡部幸雄 | 芝3000 | 3.06.8 | (ゴールドウェイ) | |
1984年 11月25日 |
ジャパンカップ(GⅠ) | 東京 | 3 | 岡部幸雄 | 芝2400 | 2.26.5 | カツラギエース | |
1984年 12月23日 |
有馬記念(GⅠ) | 中山 | 1 | 岡部幸雄 | 芝2500 | 2.32.8 | (カツラギエース) | |
1985年 3月31日 |
日経賞(GⅡ) | 中山 | 1 | 岡部幸雄 | 芝2500 | 2.36.2 | (カネクロシオ) | |
1985年 4月29日 |
天皇賞(春)(GⅠ) | 京都 | 1 | 岡部幸雄 | 芝3200 | 3.20.4 | (サクラガイセン) | |
1985年 6月2日 |
宝塚記念(GⅠ) | 阪神 | 取消 | 岡部幸雄 | 芝2200 | スズカコバン | ||
1985年 10月27日 |
天皇賞(秋)(GⅠ) | 東京 | 2 | 岡部幸雄 | 芝2000 | 1.58.8 | ギャロップダイナ | |
1985年 11月24日 |
ジャパンカップ(GⅠ) | 東京 | 1 | 岡部幸雄 | 芝2400 | 2.28.8 | (ロッキータイガー) | |
1985年 12月22日 |
有馬記念(GⅠ) | 中山 | 1 | 岡部幸雄 | 芝2500 | 2.33.1 | (ミホシンザン) | |
1986年 3月29日 |
サンルイレイステークス(G1) | アメリカ | 6 | 岡部幸雄 | 芝2400 | DAHAR |