取材・撮影・監修 見上 愛
競馬の先には、 何が あるんだろう?
人の心を癒す馬たち
見上愛
競馬場で、初めて競馬を観戦したとき、とてつもない迫力とエネルギーに圧倒されたことを今でも鮮明に覚えています。それからJRAのことをもっと深く知りたくなりました。
そんな思いの中、今回、JRAの社会貢献活動への取組みを取材する機会をいただきました。「馬が人の心を癒す時間。」「地域の想いが宿る木の再利用プロジェクト。」「日本の畜産と未来をつなぐ橋渡し。」3つのプロジェクトへの取材を通してわかったのは、それぞれの活動は、競馬と同じように「人と馬の関係」が根本だということ。そしてそこには静かだけれど確かな“想い”があるということ。このエッセイでは、そんな“想いがつながっていく先”を、私の目線で綴ってみました。
寄り添い、感じ取り、心をほどく。
馬がくれる“静かなチカラ”。
JRAが運営する馬事公苑には、たくさんの馬がいます。その中に、人とふれあい、癒すことを仕事にしている馬たちがいると聞きました。ふれる、乗る、眺める。ただそばにいるだけでも、馬の存在は人を癒してくれます。人と馬との間に生まれる不思議なチカラ。それを間近で見たことで、感じることがたくさんありました。
言葉の届かない場所に、 届くもの
東京・世田谷区にあるJRAの馬事公苑※1では、「馬介在活動」※2という取り組みが行われています。
JRAの事業として、全国乗馬倶楽部振興協会を通して「ピスカリ」という団体が、現在は高齢者の方を対象にその活動を担っています。
取材の前に、動画を見ながら「ピスカリ」の活動内容についてレクチャーを受け、実際の「馬介在活動」の様子も見学させていただきました。“馬介在活動”と聞くと、少し堅いかもしれません。でも、目の前にあったのは、ささやかで、やさしい時間。この活動で活躍している馬たちと私も実際にふれあって、すごく癒されました。言葉の届かない場所に届く馬のチカラを感じます。
馬事公苑=JRAが運営する馬術競技場を備えた公園施設。
週末には馬術競技会が行われ、一般の方も観戦できるほか、メインオフィスにあるホースギャラリーでは、疑似乗馬体験ができるホースシミュレーター(土日のみ)や、馬に関する書籍・映像を見ることができる日本の馬事文化と馬術競技の中心地。あわせて、緑豊かな自然林があり、地域住民の憩いの場でもある。
馬介在活動(うまかいざいかつどう)=馬とのふれあいや乗馬を通して心身の健康を促進する、動物介在活動のひとつ。障がいのある方や高齢者の方などの心身の健康をサポートする活動。
ふれあいと温もりが 心をほどく
印象的だったのは、馬とふれあった高齢者の方たちの表情が驚くほど変わったこと。最初は怖がっていた方も、馬にふれるとすぐに笑顔になっていました。馬の首をそっと撫でたり、鼻に手をのせたり、ふれあいのなかでどんどん心が解き放たれていく光景を見て、私も豊かな気持ちになりました。
ピスカリの江刺さんがこう話してくれました。
「高齢者の方が背中から降りたあと、馬たちは自分から顔を寄せていくんですよ」
馬たちは、誰かに教えられることなく“人に寄り添う”ということを知っている。はるか昔から続いてきた馬と人との深いつながりに、思いを馳せずにはいられません。
安心を生む、 ゆっくりとしたリズム
私がCM撮影などで今まで出会ってきた競走馬たちと比べて、馬介在活動で活躍している馬の動きは全体的にとてもゆっくりだと思いました。大きな体なのに、動き出しも、人に近寄るときも、静かで丁寧。馬は自分の役割をちゃんとわかっていて、活動に訪れる人をびっくりさせないように気遣っているのかもしれません。
馬とどこまで近づけるか、その距離感で、馬介在活動に訪れた方のその日のメンタルを測ることができるという興味深いお話も聞きました。心を開いているときは自然と近くに寄れて、閉じ気味なときはちょっと距離を置く。馬との関係に、心の動きが静かに映し出されるんですね。
馬の幸せが、
人の幸せになる未来
「馬介在活動を、もっと多くの人に知ってほしい」という想いを、取材した皆さんからたくさん聞きました。どんな方にどんな効果があるのか、たくさんの目に見える成果を集めて、少しずつ社会に広げていく活動が実を結ぶといいなと思います。私がおばあちゃんになる頃には馬介在活動が普及していますように。
JRA職員の頃末さんが話してくれた言葉が、胸に残っています。
「引退した競走馬のセカンドキャリア、サードキャリアとしての道を、馬介在活動が担っていけたら」
走り終えたあとも、馬の命は続いていく。その時間を、誰かの心に寄り添うかたちで過ごせたなら。人と馬、それぞれにとって優しい未来になるのかもしれない。競馬がつないできたものの“先”には、こんなにも静かで、あたたかな場所がありました。
それは、私にとって「穏やかな“想いの行き先”」に、少しだけ触れた瞬間だったように思います。