広がり繋がる!衛生の知恵
トレーニング・センターが
地域牧場の衛生管理を!?
JRA美浦トレーニング・センター(通称:トレセン)は、防疫体制の構築を通じて地域社会へ貢献し、近隣牧場との深い「支え合い」の輪を広げています。
「馬を守ることは地域を支えること」という信念のもと、トレセンは専門知識を地域に開放。「茨城県馬牧場防疫協議会(以下、馬防)」と手を取り合い、立場を超えて助け合う信頼関係を築いてきました。今回はJRAの光田防疫課長と馬防の松園会長が、共に命を守る現場の絆について語ります。地域全体で馬を育む、温かく力強い連携の舞台裏に迫ります。
※「茨城県馬牧場防疫協議会」
茨城県内の馬の健康と安全を守るために設けられた団体。牧場をはじめ、獣医師や関係機関が連携し、感染症の予防やまん延防止に向けた情報共有や対策の検討を行い、地域全体で馬を守る仕組みづくりを進めている。
茨城県馬牧場防疫協議会 (外部リンクに接続します。)
http://umabo.jp/
※ 2025年12月対談
お二人は、出会ってどれくらいなのでしょうか?
僕が美浦トレセンに異動してきてからです。松園会長は、ずっと馬防の役員をやられていますよね。
はい。途中、6年くらい抜けた期間がありましたけど。
最初に会った時の印象は覚えていますか?
たぶん“じじいだな”って思ったんじゃない(笑)?
いえいえ! 会長はベテランで経験も豊富なので、頼りにしていて、いつもおんぶに抱っこです。
僕が赴任した時、周辺に牧場があることは知っていましたが、実際どこにどれくらいあるのか、分からない状態でした。松園会長を通して、会員さんの牧場を見学させていただき、いろいろなお話もできて、とても勉強になりました。
僕が赴任した時、周辺に牧場があることは知っていましたが、実際どこにどれくらいあるのか、分からない状態でした。松園会長を通して、会員さんの牧場を見学させていただき、いろいろなお話もできて、とても勉強になりました。
周辺牧場の調教馬場。美浦トレセン近郊には、競走馬の育成・調教施設が多数ある。
【提供:(株)グロースフィールド】
そもそもJRAと地域の牧場が連携するようになったきっかけは何だったのでしょうか。
30年弱前の話なのですが、とある牧場で馬が腸捻転を発症しました。それまで治療方法がなかったのですが、当時JRAさんが開腹手術を成功させ、助かる確率が高いという情報が入ってきました。その時に「JRA所属の馬なので、トレセンの中で診てもらえないか」とお願いしたところ、ルールや仕組みが整っていなかったので「トレセン外の馬に関しての診療は対応できない」と言われ、治療の対応が難しいと断られてしまったんです。
※ 腸捻転
腸管がねじれて血流が遮断される重篤な疝痛(せんつう:馬が罹患する腹痛を伴う病気の総称)の一種。馬は腸が長く動きやすいため発症しやすく、早期の診断と開腹手術が生命を左右する。
腸管がねじれて血流が遮断される重篤な疝痛(せんつう:馬が罹患する腹痛を伴う病気の総称)の一種。馬は腸が長く動きやすいため発症しやすく、早期の診断と開腹手術が生命を左右する。
その当時、僕はまだこの仕事に就いていないので、聞いた話になりますが、トレセンで手術ができなかった理由の一つは防疫上の観点からなんです。トレセンは、検疫を受けた馬だけが出入りできる管理されたところなので、いきなり検疫を受けていない馬を連れてくることは、やはり難しかったそうです。
そこで、トレセンの診療所の所長に相談したところ、「近隣の牧場を集めた団体を作って、馬の健康や命を守るための協力要請や防疫に関する知識の共有依頼などを“団体の意見”として上げてくれたら、対応できる」と言われ、「茨城県馬牧場防疫協議会」を立ち上げることになりました。
トレセン側としても、近隣牧場の団体ができれば、対話の窓口が明確になり、防疫に関するアナウンスや教育などの支援ができる、という想いがあったと聞いています。
僕は、そのことを後から聞いて、“相思相愛だったんだな”と思いました(笑)。
現在では、増減はありますが、34の牧場さんが会員(※)になっていますね。我々は獣医ですから、“馬を助けたい”という想いが根本にあります。今では、トレセン外で緊急的な手術が必要となった馬は、基本的には馬インフルエンザなどのワクチンを接種していることを前提に、簡易検査で陰性を確認した上で受け入れる体制ができています。
※ 2025年4月末現在
美浦トレーニング・センター競走馬診療所
手術室や馬用MRIをはじめ、最新鋭の検査機器がある
現在、日常的にどういう情報共有や協力体制がとられているのでしょうか。
トレセンが専門的な知見や防疫情報を提供して、馬防の会員さんが現場でそれを実践・展開する、という流れですね。細かく言うと、感染症の発生状況や予防策についての情報を共有したり、馬防と連携して防疫マニュアルを作成したり、緊急時の連携対応などをしています。
それから、年に2回、講習会を開催してくださっていて、いろんな情報をいただいています。「こういうことをちゃんと知っておいてほしい」とか、「こういう対応をしてほしい」ということを直接聞けるので非常に助かります。
馬防からも「こういう情報が知りたい」と要望をいただいて、僕らの最新情報を牧場の皆さんにお話したりしています。馬防との交流というのは常々あって、こうやってトレセンに来ていただくことも普段からあるので、情報交換はすごくやりやすいですね。
衛生対策や感染症予防では、具体的にどのような工夫をされていますか?
大事なことはワクチン接種ですね。最近の大きなトピックとしては2025年に17年ぶりに国内で馬インフルエンザの発生がありました。馬インフルエンザは感染力が強く、一度トレセン内で発生してしまうと、競馬の開催ができなくなるくらい影響力の大きい病気なんです。「国内で発生した」という一報があったときは、馬防を通して周辺牧場の方たちと情報交換が密にできましたし、連携が取りやすかったのですごく助かりました。
我々としても心強いです。ほかにも、「こういうものを使ってくださいね」、「こういうことをやって防疫してくださいね」という注意喚起も含めて、防疫上で必要なもの、例えば消毒液や消毒用のマットなどをトレセンからご提供いただくこともあります。その他の細かいところでもたくさんあって、本当にありとあらゆる面で支援していただいていることが、我々にとっての大きな財産ですね。
牧場から美浦トレーニング・センターに到着した馬運車
入厩検疫厩舎で待機する馬たち
連携を通じて、お互いに「これは助かった」、「これをしてもらってよかった」というエピソードがあったら教えてください。
我々としては、緊急事態が起きて、トレセンで速やかに対応してくださることが、まず一番助かります。また、トレセンの先生方が尽力してくださって、説明から何からやってくださるので、我々はある意味そこから一歩引いたところで冷静に対応できる。我々にとってトレセンは、“大きな保険”みたいなものですね。
お役に立ててよかったです。こちらとしては、トレセンだけでやっていると、どうしても外の情報がわからないので。馬防で周辺牧場の情報を吸い上げてくださることが、有事の時にすごく助かります。僕らから「こういう対策を考えているんです、協力してくれませんか」とお願いすると、快く受け入れてくださるし。そこは日常のコミュニケーションと言いますか、ざっくばらんな話もできて、すごくありがたいですね。
こんなこと僕の口から言うことではないんですけど。今、日本の競馬がこれだけ繁栄し、出走頭数を揃えられているのは、トレセン周りの、我々のような民間団体の力も一助となっていると思うのです。それに加えてトレセンからの協力を得ながら、手を取り合い、馬防の会員さんが、日々の衛生管理や感染症対策に尽力してくれているおかげで、安心して馬づくりに専念できる環境が保たれている。そうした地道な活動が、地域の馬産業を支え、ひいては日本の競馬全体の発展にもつながっていると思います。
おっしゃる通りだと思います。
トレセンの場長が懇親会の時に言ってくださった、「馬防はトレセンの一部だと思っています。我々とワンチームです。その気持ちでお互いやっていきましょう」という言葉が、僕は忘れられないです。万が一の時を踏まえ、"絶対に競馬を止めない"という危機感のもとに、今の環境があると認識しています。
馬の健康手帳。黄色い手帳にはこれまで接種されたワクチンの接種証明が記載されている
馬の健康を守るワクチン接種。周辺牧場含め、地域一体となって伝染病を予防することはとても大切
今後、トレセンと地域牧場の連携を、どのように育てていきたいと考えていますか?
僕の頭の中で描いているものとしては、完璧とは言わないですけれども、理想に近い形でお付き合いさせていただいています。我々の努力が足りない部分はいっぱいあると思いますが、今の支援体制を続けていただければ、それ以上は特に望むものはないのかなって思いますね。それくらいよくしていただいています。もう本当に感謝しかないです。
そう言っていただけるとありがたいです。あとは牧場が増えているなかで、ネットワークが広がっていくことも必要かもしれないです。千葉や栃木など、茨城県外の牧場さんも少しずつ輪の中に入ってくると、より良くなると僕は思っています。
それは理想ですね。馬防のほかにも団体があって、「ひとつにならないか」という声があるのは確かです。課題もたくさんありますが、こういうのって“イマジン(思い描くこと)”なんで、みんなで理想像を共有したら、自然と良い方向にいくのでは。イマジン、良い言葉ですね。
30年前の教訓から生まれたこの防疫体制は、今やJRAと地域牧場を「ワンチーム」で結ぶ、強固なリスク管理ネットワークへと進化しています。
また、動物の健康を守るため、防疫を推進することは、ヒトの健康、環境の健全性を守ることにもつながる「ワンヘルス」という理念にも通じています。
JRAが持つ高度な防疫知見を近隣の牧場へと拡大するこの取り組みは、地域の馬産業を支えることで地域経済の安定と日本における競馬の持続可能な発展を担保する、JRAが社会的責任を果たしていくための不可欠な基盤のひとつとなっています。
JRAはこれからも、このつながりを支え、競馬のチカラを地域社会へ活用する取り組みを推進していきます。