1000年の伝統を未来へつなぐ!地元と競馬場が育む、
馬を通じた地域共生
JRAは馬に関する文化の普及や発展、地域貢献の観点から、全国各地の祭事や伝統行事の支援も行っています。中でも東京都府中市・大國魂神社の例大祭「くらやみ祭」では、元競走馬と東京競馬場の職員たちによる、神事「競馬式(こまくらべ)」へのサポートが40年以上も続いています。
競馬のまち・府中ならではの馬を通じた社会貢献活動について、大國魂神社の猿渡宮司とJRA東京競馬場の松田場長にお話を聞きました。
※「大國魂神社」
大國魂神社は大國魂大神[おおくにたまのおおかみ]を武蔵国の守り神としてお祀りした神社。JRA東京競馬場と同じく府中市に所在する。
大國魂神社(外部リンクに接続します。)
https://www.ookunitamajinja.or.jp/
毎年4月30日から5月6日にかけて行われる「くらやみ祭」は、70万〜80万人が訪れる府中市を代表するお祭りです。舞台となる大國魂神社やお祭りの由来などについて教えてください。
現在「くらやみ祭」では、期間中に、さまざまな神事や行事が行われています。「競馬式(こまくらべ)」は1000年以上続いているそうですが、どのような歴史があるのでしょうか。
府中のまちにも細馬(ほそま)、駆馬(かけま)、馬場大門など、馬にまつわる名前が多く残っていますが、武蔵国には馬を育てる「牧(まき)」がたくさんあり、良質な馬の産地でした。今から1000年前の平安時代、乗り物や軍馬として馬は重宝され、朝廷へ献上されていたそうです。国司が献上する馬を選ぶために、走り方の良し悪しを確かめた儀式が「競馬式(こまくらべ)」の起源と言われています。
それぞれの牧で育てた馬を持ち寄ったのですね。
駿馬を朝廷に献上するために、良馬を府中に集め、走らせる・・・。
こうした昔からの神事や伝統馬事を土壌に、西洋から伝わった文化が融合されて、現代の競馬があると改めて感じます。
それだけ競う牧がたくさんあったのだと思います。「競馬式(こまくらべ)」は、馬の産地であった武蔵国の伝統を受け継ぐ、府中の府中たる神事と言えます。現在も続けられているのは、東京競馬場のご協力によるものと感謝しています。
くらやみ祭の「競馬式(こまくらべ)」
毎年5月3日の夜に旧甲州街道で行われる大國魂神社の神事。提灯の灯りに照らされた直線約200メートルのコースを、4頭の御神馬(ごしんめ)が勢いよく3往復駆け抜ける、1000年以上の伝統を誇る勇壮な行事。
東京競馬場からの馬の奉納は、どのように始まったのですか。
以前は近隣農家の農耕馬をお借りしていました。しかし農業の機械化で馬を飼育する農家が少なくなり、競馬式(こまくらべ)が存続の危機を迎えました。しばらくは稲城乗馬クラブにお借りしていましたが、1982(昭和57)年に当時の奉賛会の会長の発案で「東京競馬場には馬がたくさんいるから」とご相談したのです。
奉賛会(ほうさんかい):神社や寺院、伝統的な祭りなどの活動や施設を、経済的・実務的に支援(奉賛)する人々の組織・後援会
1982(昭和57)年は、東京競馬場と馬事公苑から4頭を奉納したと聞いています。以降、東京競馬場の元競走馬を奉納しています。2007(平成19)年には6頭に増えましたが、2019(令和元)年にはコロナ禍で「競馬式(こまくらべ)」が中止になりました。再開後の2023(令和5)年からは4頭の奉納と、手綱を握る騎手として4名の馬取扱技能職員が奉仕しています。
競馬場の揃いの半纏(はんてん)や手丸提灯を作ったり、職員の方も雑踏警備などでご協力いただいていますよね。
馬取扱技能職員の補助スタッフ、雑踏警備をお手伝いする職員やアルバイトなど、現在は総勢で約70名が参加しています。地元・府中で1900年の歴史を持つ大國魂神社で最も重要な例大祭ですし、府中市民や近隣の皆様に競馬場の存在や馬への理解を深めていただく機会でもあります。馬事普及や馬事振興を担うJRAとして、使命感を持って参加させていただいています。
旧甲州街道を一之駒から四之駒まで、4頭が200mの距離を3往復する様子は、圧巻だと思います。
普段の生活で馬が走る姿を見ることは少ないですし、市民の方も楽しみにされていますよ。
東京競馬場では4月下旬から競馬開催が始まるので、地域の消防や警察、関係各所へご挨拶に行くのですが、その際に「くらやみ祭」や「競馬式(こまくらべ)」は、よく話題にのぼります。お祭りの後も「今年は三の駒が良かった」というお話を聞きました。私も東京競馬場に異動してきて初めて参加しましたが「競馬式(こまくらべ)」だけでなく「山車行列」や「太鼓の響宴」も市民が一体になっていて、とても盛り上がっているお祭りだと思いました。
「競馬式(こまくらべ)」には元競走馬が奉納されていますが、工夫されている点や苦労される点はありますか。
馬はもともと臆病な動物です。観衆や歓声が多くても動じないこと、ある程度のスピードで走れることを考えて、特別な訓練を受けた元競走馬を選んでいます。また、神事の神聖な雰囲気に合うように、芦毛(あしげ)の美しい馬を選んでいます。
やはりサラブレッドは違いますね。今年の「ミライヘノツバサ」も美しい馬でした。農耕馬のころは、そこまでのスピードで走らせることはできませんでしたし、走りに迫力があります。
ところで当日の朝、公道で練習されていますよね。まちなかに馬がいるのは、府中らしい風景だと思いました。
普段、アスファルトの公道を走ることはないので、当日の朝に準備運動をさせて、環境に慣れさせています。また近年はアニマルウェルフェア(動物愛護)の観点から、動物が参加する祭事のあり方も問われています。「競馬式(こまくらべ)」は、5月の夜8時という涼しい時間帯に行われるので、馬への負担も少ないのかなと思います。
以前は通行量や安全確保の課題もありましたが、交通規制をしたり、フェンスを設置したり、馬の蹄にゴムを被せてくださったり、いろいろと工夫しています。おかげで江戸時代と同じ旧甲州街道で、安全に、豪快に実施できています。全国的に見ると、馬がいなくなって馬の行事が続けられなくなった例も多くありますが、「競馬式(こまくらべ)」は、東京競馬場のご協力もあって継続できているので、とてもありがたく感じています。
大國魂神社と東京競馬場は、日ごろからどのような交流があるのですか。
もともと東京競馬場の一帯は、明治時代の上知令(あげちれい)で国有化される前は、日吉神社という神社の境内だったんです。競馬場の北側の天神山に移転し、現在の日吉神社としてお祀りしています。大國魂神社の天神社と日吉神社のお祭りには、東京競馬場長はじめ職員の皆さんがご参列くださり、町内の方との懇親会にもご参加いただいて、大変感謝しています。
こちらこそありがとうございます。先ほど猿渡宮司からお話が出た、大國魂神社の由来である「六社」ですが、東京競馬場にも春の開催で行われる「六社ステークス」というレースがあります。優勝馬の馬主、調教師、騎手には記念品として、神社から赤い当たり矢を授与していただいています。地元にゆかりのある名前のレースを行えるのは、いい関係を築いているからだと思います。
神社では「くらやみ祭」をはじめ「すもも祭」、「秋季祭くり祭」、お正月など、お祭のときは号砲(煙火)を打ち上げるのですが、競馬の発走時刻と重ならないように事前に打ち合わせをしていますね。府中が「馬のまち」「競馬のまち」として盛り上がっていくといいなと思っています。
最後に今後の展望、地域文化の継承や発展についてお聞かせください。
「競馬式(こまくらべ)」は1時間前から交通規制をして、観衆の皆さんは30分ぐらい前から待機されているんですよね。でも始まったら、4頭が約200mの距離を3往復する儀式なので、あっという間に終わってしまう。観衆が待っている時間に、もうちょっと馬と触れ合える機会があると、もっと楽しい行事になるのかなと思いますね。
競馬場の中では馬と触れ合えるイベントをたくさん行っていますが、確かにまちの中でそうした機会は少ないですね。馬は私たちの事業の中核ですから、地域の皆様、府中市の皆様に馬のことをよく知ってもらい、理解を深めていただける機会は、いろいろ検討していきたいです。
府中は歴史的に見ても良馬の産地でしたし、もっと「馬のまち・府中」を東京競馬場さんと一緒に盛り上げていきたいですね。
JRAにとっても、馬事普及や馬事振興は重要な使命のひとつです。「競馬式(こまくらべ)」という伝統ある神事を通じて、普段は馬と接点のない市民の皆様に馬の魅力を身近に感じていただけるのは、とてもありがたく思っています。地域の宝であるこのお祭りを後世に伝えていくためにも、東京競馬場は大切な役割を担っていると感じています。これからも馬も人も地域の一員として、地域社会に貢献していきたいと思います。
1000年以上続く「くらやみ祭」の「競馬式(こまくらべ)」。地域に根ざした神事は、時代に合わせてその形を変えながら、現代に受け継がれてきました。そのために東京競馬場が果たす役割は、少なくありません。JRAは馬事普及や馬事振興を担う存在として、日本各地に伝わる馬にちなんだ祭事や伝統行事を未来へつなげていくという社会的責任を果たしていきます。
2026年5月対談
猿渡宮司
645年の大化の改新以降、中央集権型の律令国家づくりが進められ、全国各地に国ができます。このあたりは武蔵国(むさしのくに)と呼ばれ、府中に国府が置かれました。国府は現在の都庁や県庁にあたる行政の府で、朝廷から国司が派遣されてきます。当時は主にお米を税として納めていたので、五穀豊穣や諸災防除、病気平癒などを神様にお祈りするのも国司の仕事でした。それで武蔵国のすべての神様にお祈りできる場所を設けようと、大國魂神社が武蔵国の総社になりました。
松田場長
大國魂神社の起源は、大化の改新まで遡るのですね。
神社の正面に「総社六所宮」とありますが、これが、大國魂神社の由来ということでしょうか。
猿渡宮司
実は大國魂神社と呼ばれるのは明治以降で、それまでは「六所明神」や「六所宮」と呼ばれていました。古代中国の思想には、東西南北・天・地で世界を表す六方向の考え方があり「六=すべて」という意味がありました。武蔵国の代表的な六つの神社から神輿で御神体をお連れし、お祀りしたことがお祭りの始まりです。神輿で神様がお渡りになる際、人目に触れないよう暗闇の中で行ったことから「くらやみ祭」と呼ばれています。