その走りは、天馬と称された
- トウショウボーイはスピードの塊のような競走馬だった。雄大な馬体から繰り出すフットワークは軽快で、有馬記念を含む3戦で中央競馬新記録を更新した。空を駆けるような走りを見せるトウショウボーイはいつしか「天馬」と呼ばれるようになっていた。
- 英国生まれのテスコボーイを父、米国生まれのソシアルバターフライを母に持つトウショウボーイは1973年4月15日に北海道静内(現新ひだか町)の藤正牧場(トウショウ牧場)で生まれた。藤正牧場は馬主であり、参議院議長も務めた藤田正明氏が1965年に開設した牧場だ。
- 牧場長の沼田正弘氏は牧場ができた1965年に米国に渡り、基礎になるような繁殖牝馬を探し求めた。カリフォルニアで巡り合ったのがソシアルバターフライだった。沼田場長は3日間、通い詰め、直談判して購入に成功したという。そんなソシアルバターフライとテスコボーイの組み合わせからトウショウボーイは誕生した。

▲ かつてのトウショウ牧場
S.Sakaguchi
- デビューは1976年1月31日の東京競馬場だった。芝1400メートルの新馬戦。18頭立ての18番枠からスタートしたトウショウボーイは2着に3馬身差をつけて快勝した。その後も2連勝し、3戦全勝の成績で皐月賞に向かった。だが4月18日に中山競馬場の芝2000メートルで行われるはずだった皐月賞は1週間延期され、場所も東京競馬場の芝2000メートルに変わった。厩務員組合のストライキが理由だった。急な予定変更にもかかわらず、トウショウボーイは皐月賞を制した。ライバルと目されていた1番人気のテンポイントに5馬身差をつける圧勝だった。
- 圧倒的な1番人気に支持された日本ダービーはクライムカイザーに敗れて2着。三冠レースの最終戦、菊花賞もグリーングラスの3着に終わったものの、3歳最終戦となった有馬記念で本来の実力を発揮する。
- 天皇賞馬が3頭も参戦する層の厚いメンバーの中、ファン投票で1位、レースでも1番人気になったのがトウショウボーイだった。結果もトウショウボーイの完勝だった。初めてコンビを組んだ武邦彦騎手とともに気持ちよく好位置を走り、最後の直線で早めに先頭に立つとテンポイント以下を下し、2分34秒0(中山競馬場芝2500メートル)の中央競馬新記録で優勝した。この勝利がものをいい、1976年の年度代表馬に選ばれた。

▲ 種牡馬時代のトウショウボーイ

▲ かつてのトウショウ牧場
S.Sakaguchi

▲ 種牡馬時代のトウショウボーイ




























