今週の注目レース

天皇賞(春)(GⅠ)

阪神競馬場 3200メートル(芝外→内)定量 4歳以上オープン

2020年 フィエールマン

2020年 フィエールマン

フィエールマンが元号をまたいでの連覇達成!

2019年 フィエールマン

2019年 フィエールマン

壮絶な一騎打ちを制してフィエールマンが盾獲りを果たす!

2018年 レインボーライン

2018年 レインボーライン

激しい追い比べの末にレインボーラインがGⅠ初制覇を果たす

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歴史

■天皇賞(春)
天皇賞(春)は、京都競馬場・芝3200メートル(2021年は阪神競馬場で開催)を舞台に古馬最高の栄誉を懸けて争われる、長い歴史と伝統を誇る競走である。

■天皇賞の前身
1905年(明治38年)の5月6日に横浜の日本レースクラブが、明治天皇から「菊花御紋付銀製花盛器」を下賜されたことにより創設した「エンペラーズカップ」が天皇賞の前身。翌1906年(明治39年)には東京競馬倶楽部にも御賞典が下賜され、その後、阪神、福島、札幌、函館、小倉の計7つの競馬倶楽部で「帝室御賞典競走」として行われるようになった。

■第1回
1936年(昭和11年)に「日本競馬会」が設立されて、翌1937年(昭和12年)に各競馬倶楽部が「日本競馬会」に統合されたのを機に、「帝室御賞典競走」は春が阪神、秋が東京と、東西で年2回開催される現在のスタイルとなり、同年の秋のレースが第1回の天皇賞とみなされている(東京競馬場・芝2600メートルで開催)。その後、第2回の1938年(昭和13年)春は阪神競馬場・芝2700メートルで、3歳以上の馬によって争われ、第3回の同年秋からは、「4歳以上、芝3200メートル」の競走条件となり、能力検定競走として非公開で行われた1944年(昭和19年)春まで「帝室御賞典競走」の名称で行われていた。

■戦争による中断と再開
1944年(昭和19年)秋から戦争の影響で中断されたが、戦後の1947年(昭和22年)春に「平和賞」の名前で復活したのち、同年秋から現在の「天皇賞」に改称され、春は京都競馬場、秋は東京競馬場で開催されることになった。

■競走条件の変遷
1981年(昭和56年)春に“勝抜制”が廃止されて、過去の優勝馬にも出走権が与えられるようになった。これまで、タマモクロス(1988年春・秋)、スーパークリーク(1989年秋、1990年春)、メジロマックイーン(1991・1992年春)、ライスシャワー(1993・1995年春)、スペシャルウィーク(1999年春・秋)、テイエムオペラオー(2000年春・秋、2001年春)、シンボリクリスエス(2002・2003年秋)、メイショウサムソン(2007年春・秋)、フェノーメノ(2013・2014年春)、キタサンブラック(2016年春、2017年春・秋)、フィエールマン(2019・2020年春)の11頭が2回以上天皇賞を優勝している。

長年、「4歳以上、芝3200メートル」という条件で行われていた天皇賞であるが、1984年(昭和59年)の競馬番組の変革により、秋は距離を芝2000メートルに短縮し、さらに1987年(昭和62年)から秋の天皇賞には3歳馬が出走できるように条件が変更された。これにより、春は4歳以上のステイヤー日本一を決めるレース、秋は3歳以上の中距離ナンバー1決定戦と、その性格が明確に分けられた。なお、2021年は京都競馬場整備工事による開催日程の変更により阪神競馬場で行われる。

コースの特徴

阪神・芝3200メートル(芝外→内回り)

バックストレッチ半ばからのスタートで1周目は外回り、2周目は内回り。外回り4コーナー途中からゴール前の直線半ばまでは下り。ゴール前に上り坂、それを過ぎると1コーナー、2コーナー、バックストレッチまでほぼ平坦。2周目内回りの3コーナー半ばから直線半ばまで緩やかに下り、ゴール前で再度急坂。最後の直線距離は約359.1メートル(Bコース使用時)。同競馬場の3000メートルに比べると1周目に外回りを通るぶん、前半の負荷は軽減されてスタミナや末脚の要求度は下がる。平均ペースのスピードをどこまでも持久する能力の方が要求される。

(亀谷 敬正)

ご注意 当コーナーの情報は、特別登録の情報に基づき制作されております(データ分析は特別登録発表前に執筆されたものです)。出走回避・出走取消などによりレースに出走しない可能性がございます。また、当コンテンツの内容においては、JRAが特定の馬の応援や推奨などを行うものではありません。

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