分41秒9といが違うらしい。歳牝馬ライト。ハレーがいた。フHリオール、。ハレーカプトの仔といえば、カプトシロー、たのだろう。・優勝のタケシバオー右から原田さん、三井師、保田騎手、小畑馬主e0まだ三戦一勝だが、しいような気がする。「気性は激しいが神経質ではない」と一_一井氏がいうような性格とその頑健な肉不安が発生したが、それとて関係者の尽JJで「あれ以来駄目になった」と一=井氏は、弥生賞の敗戦をッキのかわり目のように言う。00であったが前半のペースは11秒4、10秒8という一00とはなかった」といっている。で一七00のレコードタイムを出したばかりだ。いったい、この怪物はどれだけJtるのかの期待ではなかったろうか。そして、タケ、ソバオーの長いスラン。フがは0では六〇キロを脊おいながら1るだろう。00ガ円でも買手がなスビードシンボリの例から不安視するむきもあったが、久々にもかかわらず二着にきた。三井氏によると遠征後はかえってよくなったという。私はこんなところがタケシバオーら体は反サラブレッド的ともいえよう。故障は三歳時、左前脚にあったが、それ以後、故障らしい故障はない。ローレル遠征前、脚部に克服できる程度のものであった。とにかく丈犬な馬であり、よく走ることは介さらuCすまでもないが、現在まで、二十一戦、一着卜同、二若卜回、三沿一回、石外なしの成禎は断然他を圧している。血統がよくなく、二かったという話は有名である。三歳時、将米を疑間祝されていたことも、つい昨日のことのようだ。父チャイナロックは四くとして、低方があまり知られていなかったからだ。母タカツナミは不出走。祖問クニビキは豪州産で都の抽銭馬となり、大井でよったが勝鞍なしである。さらに兄馬スモールホース、ホースエーはともに一勝したきりで無名である。だが、二流の血統であることが、逆にタケシバオーを農民的、野武士的にたくましくしているとも解せる。三強のなかでも、名血アサカオー、マーチスは、ともに大切なとき故障を経験し、この馬だけが終始好調を持続しての弥生宜に敗れて以来、タケシバオーが勝ったのは先Hの東京新聞盃をふくめてわずかに三つである。あとはダービーも含めて仝部二芥、さすがといえばさすがだが、弥生宜まで圧倒的な強さを発揮して六連勝を記録してきたこの馬にしてみれば、不本窯だったにちが魔の弥生貨、と私は書いたが、そのレースは、多くの馬がタケシバオーの強さに諦めて出走せず、わずかに五頭立てとなった。相手はアサカオー、マーチス、ウメノフクオー、それに快足馬カドマス。展開は、「いけるだけいくしかない」と騎手がいっていたカドマスに絶対本命のタケシバオーが激しくせりかけていった。二碩は向う正面で後続馬を卜馬身も離していた。距離は一六0以競走なみのもの、そのため、直線にはいるとタケシバオーは一杯となり、辿いこんできたアサカオーに差されてしまったのであ渡はあちこちでさんざん叩かれ、洛句のはてにタケシバオーからも降ろされてしまった。中野渡は「どう乗っても勝てるという刊伝過剰があった。あのレースほど恥ずかしいこ結果からいえば、騎手はたしかに無謀だったかもしれない。しかし、あの場合、騎手だけが賀められるのはどうだろう。それまでのタケシバオーは一度も一杯となった姿を見せておらず、余裕十分の勝ちかたをしていた。しかも、その前回は不良馬揚のダートコースその限界を知ってみたい、というのが大かたじまるが、それに終止符をうったのが、本年二月二日の東京新聞盃である。五八キロの重品でレコード勝ち。つづく三月一日の一七う梵異的なレコードで勝った。いずれもダートだが、これでダートは三戦して三度ともレコード勝ち。もし、ダートのレースが多かったら、どれほどの成紐をつくることか。今年の古馬の直宜レースでは、紺敵アサカォー、マーチスとともに壮絶な戦いを展開す入れた燕麦である。私が子供のころ見た馬車馬の飼菜はバケッよりやや大きめの木の桶に入れていた。今まで私は、馬の頻は長いのでバケツ形の器が適しているのだと思っていたさらにその隣りに絵のように災しい顔の四タキカプトの卜であるなにしろ、湖教タイムが一周一〇一というタケシバオーと同じものであるから、兄たちがそうであったように、いつ、どこで、どれだけ走るかわからないダイナマイト的存在である。ファンを泌かせる日は近いだろう。スビードシンボリは、ローレル遠征後、調子をくずし、なかなか寸直れなかった。サラプレッド特布の微妙な体笠と神経がそうさせだが、同じくローレルに遠征したタケシバオーにはそういうことがなかった。帰国後、はじめてのレースに出走したとき、一部にはきた。それにもかかわらず、この一年間、あの臨いない。る。なんという馬鹿な乗りかたか、と駿手中野36
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