HTML5 Webook
50/57

"リ討2[t[e汀*い]:]尽11イかな….. と」討。せた。きた。2着1回。では返り討ちを喰らった。「邦さんにマイペースで逃げ切られた。またしてもうまく乗られてしまった」と唇を噛んだ。そんな鹿戸にとって、77年の有馬記念は「負けられないレース」になった。「ボーイはこの一戦で引退。翌年、海外へ行く予定のテンポイントが胸を張って旅立っためにも、この時ばかりは負けるわけにはいきませんでした」有馬記念に出てきたテンポイントをみて「昔とは馬の造りが全く違う。素晴らしい」と感じたのはトウショウボーイに乗る武邦彦だった。この日のテンポイントの体重は498デビュー戦が456充実は著しかったことが分かる。パドックで鹿戸の目に映ったトウショウボーイもまた「素晴らしくみえた」と言う。「プレストウコウらも気にならなかったわけではありません。でも、やっばり相手はポーゲートが開くとその思いに体が反応した。素早く飛び出したトウショウボーイをみて、「他の馬はついていけない。なら、自分で(負かしに)行くしかない!」と気合を入れた。こうして、世紀の名勝負は本当の意味でのスタートを切った。鹿戸は後方にいる各馬を無視し、前を行くトウショウボーイ「邦さんは内を少し開けて走っていました。ボーイは荒れた馬場がうまくないから、これ以上は内に入ってこないと思いました」そこで鹿戸はその開いたインコースから並びかけようとした。すると、トウショウボーイがスピードアップしながら少し内へ寄って討だから、実際に馬体の武邦彦だけに照準を合わーIンイトlのは後皐I塵月をl賞拝で'しもた有。馬4記歳念にでなもりト、ウシ幅ョがウ出ボて年の有馬記念でトウショウボーイ都記念と嗚尾記念を連勝。続く天皇賞にも勝ち、悲願のビッグタイトルを手にした。秋もその勢いに陰りはみえなかった。63キロを背負って京都大賞典を勝つなど2連勝をして2度目の有馬記念に駒を進めた。しかし、春秋の連勝の間に走った宝塚記念では、またしてもライバル・トウショウボーイが目の前に立ちはだかった。テンポイントは勝者トウショウボーイに¾馬身届かず着。つまり、有馬記念を前にしたテンポイントはこの年6戦5唯一先着を許したのが宿敵トウショウボーイだったのだ。「当時、トウショウボーイの出走しないレースでは負ける気がしなかった」主戦騎手・鹿戸明がそう語るのも頷ける。鹿戸がトウショウボーイを意識したのは、実はとても早い段階だった。関西馬テンポイントが3歳(当時の4歳、以下同)クラシックを目指し東京競馬場に入厩したのは1月。その時、鹿戸もともに現地入りしていた。「東京で調教を乗っている時に、『今度デビューする関東馬に凄いのがいる』という噂が耳に入りました。その馬の新馬戦には私も別の馬で参戦したのですが、まった<追いつけないまま終わってしまいました。噂に違わぬスピードを持った馬がいるなあと思ったのですが、その馬こそがトウショウボーイだったがっちりしてきたにもかかわらず、宝塚一心勝2 んです」「3歳時はまだ非力だった」というテンポイ最後の対戦…。自ら負かしに行かなければ勝機は無い2010 JANUARY—YUSHUN 26 ボーイのスピードにきっと他馬はついていけない口]今なお語り継がれる``世紀のマッチレース’’。鹿戸騎手が道中で引かなかった理由とは鹿戸明鹿戸明元騎手が語る名勝負テンポイントトウショウボーイテンポイントvsトウショウボーイrand Finale ,;rsR置

元のページ  ../index.html#50

このブックを見る