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病した。「英雄」かもしれない。せてやる方がいいという声も多くあった。四日に四十二日ふりに横になったテンポイントは死んだように眠った。山田幸守厩務員をはじめ六人の厩務員が徹夜で看五日、日曜日の午前二時、テンポイントの瞳孔はやや散大した。それでも牛乳と水を飲み、青草も口にした。同八時すぎ容体が急変した。一緒に寝わらに横たわる山田厩務員に訴えるテンポイントの目が急にトロンとした。同二十分、急を聞いて七人の獣医が駆けつけた。テンポイントは前後脚をケイレンさせた。山田厩務員が「テンポイント/.」と大声で呼び続けて体をたたいたが、テンポイントは全身を伸ばして冷たくなっていった。山田厩務員はテンポイントの首に抱きっいて号泣した。鹿戸騎手は無言でその場に座り込んだ。「テンポイント号は三月五日`午前八時四十分静かに永眠しました。衰弱による自然死でした」中野診療所長が発表した。翌六日のスポーツ各紙は10ポイント活字とは比ぺものにならぬ大きな文字でテンポイントの死を悼んだ。AFP電も動物愛物語として骨折から死までの経過を全世界に打電した。嵩田オーナーはr助けて欲しいという私のひとことが、かえってテンポイントを苦しめる結果になったように思えてつらい。覚悟していたが死を知らされて、大きなショックと申し訳なさで何と言っていいか」と頭を垂れた。武田文吾調教師は「テンポイントを四十三日間も苦しめたのはかわいそうだったが、医学のためには無駄ではなかった」と言った。テンポイント事件については、彼の馬券を買った人も、買わなかった人も、彼を見た人も、見たことない人も同じように考えさせられた。この事実はなんだっッドが骨折して倒れた。「どうか命だけは助けてやってください」という激励の手紙に例外は―つもなかった、という。が、神ですらテンポイントから病魔を取り除くことが出来なかっ意味で、彼にふさわしい葬送行進曲はペートーペンのたのか?ー頭の強い、気品のある、美しいサラプレこ。t テンポイントは死んでも永遠のヒーローだが、その66.5"'0を背っ―たテンポイントはいつものように美しく走っていた▼全国のファンの願いも叶わなかった事故から43日後、テンポイントは永眠した昭和53年日経新春杯パドックに降る粉雪は、テンホイントの海外雄飛を祝しているように思えたのだった23

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