.9-った。2着に8馬身の差►昭和52年ー天皇I賞・i春。トウショウポーイはいなかったがクラウンピラー栄光のゴール板だI.」と涙したド以下を退け初の栄冠。ファンは「見たかテンポイント、これが夢に見た◄昭和52年京都大賞典。63*口のハンデを背負いながらもをつけて逃げ切った。4歳の頃のひ弱さも消え、堂々たる姿に変身していたいなかった。二月の京都記念、三月の鳴尾記念を59キロ、61討で連その後、六月五日阪神の宝塚記念では五たびトウシ五歳秋、テンポイントはサラブレッドとして完成しこの戦いは競馬史上に残る名勝負として忘れられなテンポイントはこの勝利で偶然にも祖母、母と同じで遂に初のビッグタイトルを取った。クラウンピラード、ホクトボーイ、グリーングラス、クライムカイザーらを_蹴したもので、トウショウボーイは出走してョウボーイと顔を合わせたが、テンポイントはまたもや二着に敗れた。で63討を背負いながら二千四百2いを楽々と逃け切った。一年ぶりに東上したテンポイントは、東京のオープン(+_月十二日)でも逃げ切り、いよいよ有馬記念(十二月十八日・中山)で、六たび宿敵トウショウボーイと相まみえることになった。い。「トウショウボ—イを打倒して日本一になる」鹿戸騎手はすさまじいほどの闘志でテンポイントを御した。テンポイントもピリピリとした気迫でこれに応じた。スタートからゴールまで両馬のマッチレースだった。に立ったが、テンポイントがびったり二番手でマークした。両馬は互いの呼吸をうかがうように進む。四コーナー手前で馬体が合い、直線に向くと、テンポインいすがったが、テンポイントは%馬身差をつけて栄光のゴールに突っ込んだ。グリーングラス、プレストウコウの両菊花賞馬は最初から最後まで両馬の前に一度うな歓声を上げた。「今は宿願を果たしてよかったという気持ちです」。鹿戸騎手は初めて心から笑った。に11勝目を挙げた。そして五十二年度の年度代表馬に選ばれた。しかも満票(百一票)は四十七年以来初めてほど変わって行った馬は珍しい。テンポイントの悲劇は五十三年一月二十二日の京都勝したテンポイントは、四月二十九日の京都の天皇賞た。四カ月半ふりに出走した十月十六日の京都大賞典武邦彦騎手のトウショウボーイが好スタートからハナトは早めに抜け出した。トウショウボーイは必死に追すら出られなかった。中山の夕閤の決闘を息を呑んで見つめていた九万の観衆は、ゴ—ルとともに怒濤のよであった。五歳秋になってのテンポイントはまさに芸術品の強さだった。デビュー時に456けだった馬体が490訂台に成長していた。いい意味で姿形がこれ、ー~・--.▲皐月賞。宿敵トウショウポーイと初めて顔を合わせたテンポイントだったが、5馬身の差をつけられて2着だったi 9,`“`· ▲昭和51年有馬記念。トウショウボーイに1馬身½差の2着。どうしても大レースに勝てない‘‘不運”がつきまとう▲菊花賞。直線一度は先頭に立ったが内をついたグリーングラスに敗れ2着。これから輝かしい`3強の時代”が始まった一―
元のページ ../index.html#47