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ながら:·…゜ということです。聞きましたが。思ってるんです。強い思い出は何でしょうか。思いますよ。たり前に育っていったということですね。小川無理しなければ、六歳までは普通だ先日栗東でお会いしたとき、有馬記念でテンポイントに帽子をくわえられたとか小川ええ、あれは非常に甘えん坊なところと利巧なところのある馬ですが、ほくに語りかけたんだと思って今でも心にこびりついています。その瞬間、ぼくはテンボイント何を言いたかったかまで分かるのだけど、おそらく、俺は頑張ったぞ、何故早よほめにこないかと。口取りに行ったら、誰か後からおめでとうおめでとうというので、ひょっと、後ろ向いたとたんに帽子食わえたんです。ですから、ほめ方が遅いという不満だったろうと吉田さん、牧場時代に特にこういうことあったということはありますか。吉田特別なことというのはないですが、二歳の春ごろから発育が悪くなって、思ったより良くならないので、どっか悪いとこあるのかなということはあった。モヤシにする育て方でなくて、多少は巡動の誠を控えたりして育てたことはあります。秋になって追い運動なんかするようになって、他の馬は運動場に入ると一目散になって飛んで行くんですがそうムダな走りをしないで、追い馬に後から突っつかれるとビューとすぐハナに立っちゃう。ですから、これは切れる脚はあるなというので、無事に行ってくれさえすれば、ある和度走ってくれるんじゃないかという期待は持ちました。あとは特別病氣するわけじゃな奥さんはテンポイントのことで一番夫人二度とあんな強い馬持てないなということですが、重賞なんかには全然、縁なんかないと思っていたのが、こちらに来るときに優勝のレイを一枚一枚畳んで箱入れてましたときに、一っ―つに思い出はありますが、ずいぶん沢山重宜取ってくれたものだといい高田私、強いと思いますのは、本命の一番人気になって勝ってるということは、やっばり強いと思いますね。ノーマークとかじゃなくて人気の重圧に耐えて、乗り役も大変だったでしょうし、馬も強いとしか言えないと‘ ム.、一凸量疇””Zダ場内をぎっしり埋めた参列者宿敵トウショウポーイの育ての親,沼田藤正牧場長も好敵手の冥福を祈った。テンポイントに最後の別れを告げる高田氏と小川調教師遍ふヤ烹·”、、ミ;;—14

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