EB錬.~ ^一作_______.訂郎を予想するのは、いかに困難であるか。偶然ギャンプルで勝つことは、確率の問頗であるが、競馬というものは、その確率がきわめ確率がひくければひくいほど、そのギャンブルに熱杜するのも、皮肉な本能性ともいえて、負けてばかりいるが、それは、確率のひ商売によって、一倍円という金をつかむ人は、一億の人口の中で、おそらく、十万人もそのあまりの確率のひくさのゆえに、人は、努力する情熱を失う。それにくらべれば、競馬は、努力せずして、あわよくば、ぬれ手に粟(あわ)という希望がある。程疫の確率が、どうやら、人間の二度(いっかく)千金的物欲をそそるには、●有馬記念観戦記に必死の祈りが"e・・・・・げた。ていたが、結果は、A君の予想通り、⑥ー⑦であり、呈する。ださい」15頭と、私は、知った。しかし、考えてみれば、わせれば、A君をのひろいものに似ている。てひくいことを示している。くさのためである。いないであろう。まず適当なところらしい。むずかしいものはない。かなかった。ーチスかフイニィをトッ。フにした連勝を予想きに来ただけなのである。呼んで「穴だけ教えてくれ」と、たのんだ。と、トッ。フを予想した。固唾(かたず)をのんだ。ことに成功した。というものをつくるのか。15珀は一斉にスタートした。15頭がホームストレッチにさしかる。私は、外国のカジノで、ルーレットをやっ組を、組合走るのは、馬である。その馬が、当日、どう走るか、考えてみれば、これほど、予想のだからこそ、史上空前の競馬プームになったのであろうが、それにしても、競馬専門紙と首っびきで、必死に自分のカンを働かせる瞬間、まことに措しみなく、人間の弱さが露私は、専門紙にひとわたり、目を通してみたが、正確に予想を的中させたのは、一紙し天皇宜で失敗したマーチスに、まだ期待をかけている予想や、フィニイの実力を高く買った予想などが大半であった。すなわち、マしていた。したがって、観衆は、どうしても、この予想にひき込まれることになった。私は、生まれてはじめて競馬場へやって来たという遠藤周作に迎(あ)い「錬さん、たよりにしてますよ。教えてくと、たのまれて、苦笑した。実は、私自身、仝く予想が成っていなかったのである。私が、こうして、観戦記を書くと、いかにも、専門的知識があるがごとく、遠藤周作などには、受けとられるらしい。私は、ただ本紙に依穎されて、観戦記を書しかし、遠藤周作からたのまれると、先輩として「よしひとつ勝たせてやる」とこたえざるを得ないというものであったし私は、例によって、親しい評論家のA君は、ためらわずに「フランスから帰って来たスビードシンボリが、充分休奨をとっていますからね」私は、遠藤周作に、⑥ー⑦という辿勝を告馬場内外広揚に集まった観衆十二万余は、私は、有馬家の人々と、貴賓奎から見下しかるや、馬場外広場をうめつくした真黒な観衆の中から、無数にとび上がる頭が、その必死な祈りのさまを示していた。私は、遠藤周作に対して、先諮風を吹かせるー成程、こういう時の優越感が、専門家35という数字になる。これの連勝35分の1(1月222日・スポーツニッポン紙所載)86乙柴 1 \ 分の1
元のページ ../index.html#22