HTML5 Webook
11/51

です」ようだ。いない」平師きこえた。「ああ、これが祐旧いですがね……」をついていた。信のほどを伺ってみると、守ってきたのである」(―-九頁)であり、ずるい発Jt法」を真似てまで、うまおきたい。「祐二のあぶみは私の手のひらで一っ半、かねえ」一の嫁ですよ。関西の高尾形調教師の門下にはいる。「尾形先生は立派なJjだ。ここで、みっちりトが下手だと評されたのです。ド丁だから外、ことがねらいでした」でもなかった」(二三頁)「私のスタート法は、以前のバリヤーのころと現在のゲートでもあまり変わっていない。バリヤーだったときは、後方から惰性をつけ、バリヤーが上がる瞬間を捕えて、好スタートを切る人もいた。その人たちは、タイミングの捕え方が実にうまかった。しかし、駐立発走が原則だったのだから、厳密にいえばルール違反であり、ずるい発走法といえた。……こんなことで、常に問頻が多かったものだ。ゲートになってからはこうしたことも解消されたが、私はスタートだけがレースのすべてではないと考え、駐立発走を忠実に要するに祐ちゃんは、スタートが「下手」だといわれたが、「厳密にいえばルール違反くはなりたくなかった。そして「スタートだけがレースのすべてではないと考え」、スタートの不利をレースで取り返すべくモンキー・スタイルを採用したというのである。だとすれば、このことは、今日の祐ちゃんの騎乗法を完成させた源であり、はからずも祐ちゃんらしいフェアな人柄と研究熱心さとを表わしているので、特筆すべきものとして洋げて幸男のは二つ半、私のところの馬に乗る騎手のあぶみはみなこの手のひらで憶えているの野平氏は手のひらを見せて説明する。それというのも、騎乗のポイントがあぶみの長さにあるとするからだ。あぶみの長さが決まると必然的に手綱の長さが決まり、騎手の姿勢が決まってくる。このバランスがくずれたとき、馬に必ず無理がはたらき、走法にマイナスが出てくる。祐ちゃんの「リズム」とは、このバランスが完令に保たれたうえで生れる「祐二はモンキー・スタイルにはちょっと胴が長すぎるんですね。そう、加賀なんかが丁度あのスタイルに合った身休じゃないです「天狗山で尾形先生が引取ろうといって下さり、その日のうちに決まりました」祐ちゃんの「競馬の秘密」には、このとき仕込まれることがお前のためだ」とお父さんから勧められたと苫いてある。「ところが、あれはバリヤー時代、スター外をまわって負けるが、それがなければ膀てるケースが多いといわれたのです。それでこれを何とか克服しようとして、外囚の雑誌の写真などを見て取り入れたのが、あぶみを短くして乗る力法でした。むろん、一朝一夕にマスターできるものではありませんでした」「するとモンキー乗りにしたのは、そういうはっきりした目的があったわけですか」「そうです。スタートの下手を取もどすためと、それから斤贔の馬への負担を軽くするこのことを知って祐ちゃんの著書を読みなおすと、なかなか味がある。例えば、「私があぶみの短い、いわゆるアメリカのモンキー・スタイルに近いフォームで乗るようになったのは、何も先輩たちのフォームに反発を蔽じたからでも、アメリカかぶれしたからでもない。まして、それまでの直線だけが勝負の競馬から、スビードを霊んずる近代競島へ脱皮しようという気負った気持ちからそういえば、祐ちゃんはできるだけ身体を小さくして乗ろうとしていると沓いている。尾形調教師は、五年間祐ちゃんを預かり、いよいよこれからというとき、野平氏に返してくれた。異例のことらしい。そのとき、尾形氏は人を集めてこう言ったそうである。「伸ばすところを伸ばし、矯正すべきところを矯正するようにしてきた。祐はまじめに頑張り、これまで間迩ったことは一度もして尾形氏にたいする野平氏の憾謝と敬意の念は、終生かわることがないだろう。「幸雄はかわいがられて育てられ、七つになる頃まで母親の乳を飲んでいました。しかし、そのわりにわがままなところがなく、性格はすなおで几帳面です。約束の時間は必ず守る。この点は、むしろ祐二のほうが駄目ですな。わかった、わかったという調子でね。祐二はほかの人にはいいんですが、あれで家の者にはあまりよくないんですよ」ちょうどこのとき、背後で若い婦人の声が柄直、あそこの娘です。娘といっても、もう野平氏は笑いながら、こんなふうに紹介した。ふりかえると、そこには美しい婦人が膝‘スビードシンボリは、六月二五日にヨーロッパに向かって出発した。エールフランス機で二六時間というスピード輸送である。凱旋門宜という世界一流のレースに出場させる自「いや、勝つとか貨金とかは最初から度外視しているんです。宜金目あてなら、H本にいたほうが確実ですからね。貨金がなくとも私毀で行こうという意味は、ヨーロッパの国21- •野61

元のページ  ../index.html#11

このブックを見る