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やっぱり競馬に絶対はない。馬のデキがすべてですよ。JVだって惨敗する。はないか。からてすよ。とおもっのはねあげる石やドロをかぶってファイトを失う、あるいは不用汗心に振りあというものだから、ぼくには、どうしても、絶対だ、とはいえない。とても怖くていえない。しかし、こんな不安要索ばかりを並べたてていると、それじやあ競馬というものには何ひとつ信じられるものが一面の真実も明かしておきましょう。よくしてやり、フィーリングをよくしてやれば、ほとんどのばあい、ゲートる気を失ったりしないものなんてす。安定な状態にあると、ひっくりかえったり、浴とし穴にはまりこんだりしてしまうんてす。不思議なことにそういうものなんてすね。つまりは、馬のデキがすべてだ、ということですよ。馬のデキを。ハーフェクトにもっていけなければ、ジョンヘンリーだって負けるし、エリンズアイ人間てあれば何とかてきることてもの里や千代の富士のような横綱てあれば、ちょっといの相手なら造作なく片づけてしまういんてす。ちょっと走りたくないな、ん高いところから、兵下に落っこちてしまうんてすよ。だから、ぼくにしたってジャパンカップにはおおいに欧欲を燃やしているけれども、シービーな7cいんだなパA1が1悪くても前頭くらなんとか頑張って、シンザンと並びたぃ、そして、、ソンザンを超えてやりたンのように相手にあわせる競馬がてきるようになればいいんてす。そうすれ五歳となったミスターシービーに寄せられるファンの期待は、三冠を達成した去年よりも、さらに激しくさらにて、ジャパンカッフを勝て、そして打した声がより高く、より激しくなればる厭圧は苛酷なものになっていくのてってしまったら、やはり嘘になるてしょうね。かけられる期待が大きければ大きいほど、われわれ関係者は、その共に捉われてしまう。実際には応える必要なんてないんてすよ。一生懸命にやっていればそれて十分て、結果がどう出るかは神さまにても任せておくしかないことなんだから。プレッシャーというものを理性的にだとおもうんだけれど、現実にはやはり、期待に応えたい、なんとかしたいとおもって、ついついプレッシャーにはまり込んてしまう。だから、正直にいうと、ことしのぼくは去年の倍以上の前圧を感じることになるのかもしれずかしさを知らてしまうんですよ。だって、ちょっとしたコンディションの狂いて百ガドルホースのジョンヘンるのを見たてしょ。ジョンヘンリーといえば世界ナンバーワンの名馬だったはずてすよ。エリンズアイルにしたってそうてす、あの馬も全米て知られたィションを狂わせてしまうと、まさかというような負け方をするんてす。退から菊花代の勝利へといったふうに変わってくるし、微妙な部分が微妙に悪くなると、きっと、トライアルの二の舞いを演じてしまったに追いないんてすからね。というのはこういうことなんです。さつきフジノさんは、シービーだって、もしかしたら、こんな馬に、というよぃ、といったてしょ。それなんてす。それが競馬というものなんてすよ。話をするのも不謹慎なんてすが、仮にぼくに九九・九。ハーセントまて競馬をそのものは九九。ハーセント出米ていて、うのは予期、てきないことがおおすぎるば、間違いなく磐石なものがてきるはも甘さを捨てて「次の溝え」をとっていく必要があるんてす。もぼくにそんな期待をかけていないのかもしれない、ぼくひとりが勝手にそい、とおもいながらもね。当たり前のことだけれど、馬じしんにはプレッシャーなんてありません。馬は走るだけて、そこまて気をつかいけたくない、これをかわせば気持ちがすっきりする、といったくらいのね。人間の側、扱う側のほうてす。期待にるあまり、よけいなことをやりすぎていたりしてしまうんてすね。それにしても、期待されるというのは実に奇妙なものてすよ。たとえば、フジノさんが「宝島」て、シービーがいい、というてしょう。シービーて絶ってとてもうれしいことですよ。うれしいことはうれしいんだけれど、そのだって、そうてしょ?・フジノさんシービーだってそうです。微妙な部つまり、ばくが分かってもらいたいリーが後進同の競馬てあっけなく負け名馬てすよ。そんな馬てすら、コンデ分が微妙によくなるとトライアルの敗うな馬に負けることがあるかもしれな見通す眼があれば、ぼくは日本中の銀行からお金を借りて馬券を買いまくりますよ。だけど、そうはいかない。馬絶対だ、この馬はこれて絶対だとおもえても、やはりぼくにはそれがてきない。どうしてか?結局、レースとい出遅れる、あるいはつまずく。前の馬げたステッキて顔を叩かれて走る慈志を失う、そういった予期しえない出来事がたくさん待ちうけているのが競馬ないのか、といわれそうだから、もう馬というのは摩誦不思ふて、デキをて遅れたり、つまずいたり、道中で走どこかここかに欠陥があって、伯緒不馬にはそれがてきない。たとえば、降てしょ。ところが馬にはそれが効かなとおもったら、たちまち硲下以ド、ト両以ドになってしまうんてす。いちばずてす。それがこれからのばくたちの使命だとおもうし、それを一日ても早く実現するためには、調教師も乗り役ない。重圧なんておこがましい、だれうおもっているだけのことかもしれなませんからね。馬に思考力があるとしたら、走ることだけにある、これに負プレッシャーが働くのは、もっぱら応えなければならないと謡識過剰にな馬をオーバーワークにさせたり、やらなくてもいい注射をやって逆効果を招ダービーを勝つ、菊花買もシービーて対なんだ、ってね。これは、ばくにと半面て、ああ、フジノさんもやはり競馬の怖さを知らないんだな、競馬のむ調教師という吃瑞にある者がこんな絶対だとおもっていた馬がゲートてい、とおもいますよそれにはどうしたらいいか?、ンビーもまたシンザ大きなものとなるだろう。天吼買を勝馬記念を勝てと、ファンの期待はとどまるところを知らない。しかし、そうなるほど、松山さんにのしかかってく松山プレッシャーなんてない、とい期待に応えなければならないという錯考えてみると、たしかにそういうことn62

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