早くシンザンに並びたい。そして、早くシンザンを超えてやりたい。IRー•••O――-’ーろうから。つ陰、て応援してくれている人のほうが、シービーとアンバーの菊花賞対決はそんなに悲観的に考えることもないのつかない結果を紹いてしまう。そのときになって、そうだ、こういったこともてきたんじゃないか、と後悔しても、もう遅いんてすよ。正人にしても浮かれるような人間てはない。ふたりとも、一生に一度あるか深く、静かに味わうタイプだ。しかし、あえて欲をいわせてもらえば、これかりと自覚して、これていい、これてよかった、なんてところて甘んじないてもらいたい。三つのクラシックレースてミスターシービーに挑戦し、三度ともあえなくシー、ビーの軍門に降ったビンゴカンタ陣営の悲願は、たった一度、てもいい、ミスターシービーを負かしたい、とい人田島良保騎手、鬼才田原成貴騎手の願いも、一度シー、ビーを負かしたい、った。シービーといえども、けっして安閑としてはいられない。ものは、そうやってなりたっているん勝ったという結果にだけ甘んじて、これていいんだ、と自画自賛していたら負ける日はすぐそばに、目前に迫ってはないレースになるはずだ、ということなんてす。かったんだ、騎手の判断もよかったし、には、けっしていってほしくないことばなんてす。シー、ビーのいいところばかりを見てものをいうのは、かえってして、シー、ビーが負けるとしたらこういった部分じゃないか、と、心配しつほんとうの意味てのシービーのファンなのかもしれない…そういえば、シンザンの武文先生れる器だと折り紙をつけつつも、あんれるはずだ、と、洩らしていた……。ると、先を見通す鋭い眼力をもってお意味は、ああいったレースをやっているかぎり必ず大きな壁にぶち当たる、ああいったレースては、シービーはシンザンを超えられない、ということだろうとおもいます。そのとおりだ、とおもいますよ。シンザンという馬は、ほんとうに相手にあわせた競馬、といほうはというと、どこか競馬のリズムに狂いがある。非凡な馬、てあることはうにしなければ、シービーはたしかにシンザンを超えられない。てもね、フジ/さん、ぼくとしてはかも我慢に我慢を重ねていたアンバーっと我慢していたアンバーが二つ違う時計て一気に追っばらわれてきたら、けられて負けてしまうんてす。完敗、シービーの完敗てすよ。ん、世界の偉大な発明といわれるものにしたって、その最初のおもいつき、いてすか?んてはないか、シービーとアンバーが対決するときには、シー、ビーはシービーなりの作戦てアンバーに対抗するはいるてしょう。しかし、大切なのはそくって、ほんとうに知ってもらいたいのは、超一流の強い馬同士がぶつかりからのレースは、シー、ビーにとってもぼくにしたってそうだ。ばくが、もちろん感激はしている、しかし、浮かれることはできない、と繰り返しいっているのは、このことなんてす。こうやって一杯やっていると、たしかに三の朝になったら、もうだめだろうね。きっともうぼくは構えてしまうことだきているんてす。たとえば、こんなふうに考えてみたイがあの菊花賞に出走していたら、どんなふうになったか、と。フジノさんも知っているとおり、菊花賞の上り三ハロンは38秒半くらいのられたアンバーシャダイは、35秒半ちよっとの脚て上がってくる力をもっている。そこで仮に、アンバーシャダイが道中馬なりて好位をキープし、シー、ビーがどんじりから馬群の大外をまわって追いあげていったとする。四コーナーてはアンバーをかわして先頭に立を図ろうとするてしょう。そのとき、だから、菊花代のレースはあれてよ馬も強かった、万歳だ、なんていう論評は、ほんとうに競馬を知っている人親心のない人なんじゃないか。それ<らいなら、むしろシービーの死角を探は、シービトの強さを讃え、五冠のとなところからあんないい脚ていけるんなら、前半にもっといい位置につけら松山あれくらいのキャリアの人になられますからね。武文先生のことばのうものがてきた。しかし、シービーの間違いないが、一面に非常に平凡なものももっている。この平凡なものを克服して、スキのない競馬をやらせるよが直線一気に追っぱらわれてくる。じ五馬身先にいたシービーはあっというまに並びかけられ、十五馬身の差をつ松山康久が勝手に頭のなかて組み立てた机上の空論に過ぎない、といわれたら、もちろん、それはそのとおり、と答えるほかはない。しかし、フジ/さその最初のかたちというのは、ひとりの発明家が勝手に頭のなかて描き上げた机上の空論に過ぎなかったんじゃなずだから、むざむざと十五馬身もちぎられてしまうはずはない、という人もういうことてはないんです。アンバーとの対戦はひとつのたとえ詰てしかなあうシービーのこれからのレース、能力的に対等なもの同士が対戦するこれほんとうにむずかしい、けっして楽て冠をとれたんだなあ、と、しみじみ感激が新たになってくる。しかし、明らどうだろう、もし、アンバーシャダものだった。いっぽう、完調に仕上げち、五馬身ばかり差をつけて逃げ込み道中ずっとシービーより先にいて、してす。ちょっとの油断、ちょっとの立ち遅れが、やがて先へいって取り返しさいわい、佐藤厩務員にしても吉永ないかの、だれにも味わえない感激をら先にもっともっと大きな仕事が待ちうけているんだ、ということをはっきうことてある。そしてまた、西の仕掛あれだけ強い馬なのだから、必ず一度は負かしてやりたい、ということてあ松山そのとおりてすよ。競馬というてすからね。だから、われわれがただ61 匡図けいば宝島も叫ゞたり
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