すよ。うなことだけはやめよう、そうおもったんてすよ。てきたのもシービーという馬に対するルの京都新聞杯は負けたけれども、最ったな、と肩の力を抜くことがてきた。にあわせて、抜かりのない仕上げをやればいいんだ、って。だから、ぼくは、人からなんといわれようが、あのハードトレーニングはについてはどうなのだろう。松山さんは、シー、ビーがあんなふうにどんじりいろといわれましたよ。二週間のうちに三度も時計を出して、はたして大丈係者にもいわれました。たしかに、あのトレーニングは普通じゃない、過檄なものだったかもしれません。だけど、ぼくとしては、毎日毎日シービーの観察を怠りなくやっても、シービーなら耐えられるだろう、耐えられる状態だ、という自信があったんです。馬に対しての自信てすね。それにまた、あれだけの大レースにシービーのお尻をちょろっと触わる、いってみればおさわり程度の調教て臨きわまりないことだ、とおもえてたんれて出走させるのがああいった大レースに対する礼儀じゃないか、つて。結果的にも、あれてよかった、とおった、とおもいます。やれるだけのことをやって、それて負けるのてあればあきらめもつく。しかし、あとになってやはり、ああやったはうがよかったんじゃないかと後悔するようなことがやみきれないてしょう。ハードな調教をやろうが、おさわり程度の調教をやろうが、競馬は結果がすべての世界てす。シー、ビーが負けるようなことがあれば、責任のすべてはばくにかぶさってくる。いいのがれなんててきない。みんな調教師てあるぼくひとりの責任なんだから。だとすれて、あとは天命を待てばいいんじゃないか、ともかく、悔いをあとに残すよつねにベストとおもわれる乗り方を心が強ければセクレタリアトのように、マンノウォーのように鮮やかに、力強く勝てばいい。出遅れても菊花賀を勝ってくれたんく勝ったんだからそれていいじゃないか、と甘んじていたら、いつかきっと墓穴を掘るときがくる。だから、勝ってくれたことはうれしいけれども、ぼおもって、いつも、もっと違った可能―性を探そうとしていますよ。シー、ビーをセクレタリアトやマンJつもりじゃないんてす。しかし、競馬の理想のかたちというのは同じなんだから、せめて気持ちのうえだけても世たいんてす。ていられないんてすよ、これからのミスターシー、ビーは。その点ては、たしかにぼくはクーJVだし、使命感ももってますよ。あのレースも勝つ、このレースも勝つと、いうつもりはさらさらていわれないような競馬をしなければいけませんからね。から、これからのシービーに待ち構えているさまざまなシーンを想定して、そういった構えが遅れたら、先へいっての挽回は一から追いあげていくレースぶりを、あいわれると、そう、いくぶん予測していた面はありますね。こうならなきゃいいんだが、という心配の面てね。ビーにはまったく出遅れ癖なんてない遅れするようになった。い馬は何馬身、何十馬身離して勝ってもいいものだ、とおもってるんてす。セクレタリアトなんて、つねに十馬身、なふうに、強い馬が当たり前のきれいして勝ったっていいんです。ぼくはねフジノさん、あの馬、シーらかじめ予測していたのだろうか?松山あらかじめ予測していたか、ととおもってた。それがいつのまにか出馬というのはつねにスタートよく出なければならないものてす。そして、強二十馬身離して勝った。マンノウォーなんて後ろの馬が見えなかった。そんな競馬をして勝つぶんには何十馬身離騎手は、馬混みの混雑のなかて馬を制御し、馬の気持ちを汲みとりながらがける、そして、自分の乗っている馬だからケチをつける必要もないし、不満をいうこともない。しかし、ともかくは、まだ足らない、まだ足らないとウォーと同列において論じようという界の名馬たちと肩を並べてやっていき正直にいうけれど、へんな競馬をしないけれども、どうした三冠馬、なんしたがって、菊花賀が終わった瞬間それも、けっして楽観的な想定てはなく、最悪のシーンを想定しながら、分析し、対策を練っているんてす。一日もっとも、そうおもってそれを実行信頼があったからてしょう。トライア後の百奸くらいてシービーらしさを出してくれた。いわば、光明のある、希望のもてる負け方だった。だから、あのレースを見た時点て、ああ、間にあよし、あとはシービーという馬の個体あれてよかったんだ、とおもっていまーー翡花賞てのシービーのレースぶりHてはてきなくなるものぼくの持論をいわせてもらえば、競松山もちろん、あれについてはいろ夫なのか、と、ジャーナリストにも関きたつもりだったから、手探りながらむというのは、どう考えてみても不埓てす。やっぱり、びしっと追って、そもっています。悔いの残らない、ばくなりの信念を貫かせてもらった調教だあったとしたら、きっと悔やんても悔ば、やはり自分の信念どおりに実行し60
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