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で確かな感触を得た。夏災いは転じて温となった。におもう。てあった。ともかく、あのレースての吉、水は。ハかな、とか、(調教師が)ああしてくれれば、あるいは、こうしてくれれば、とか、そりやあもう、ずいぶん考えたことだろうとおもう。の深い、愛情深い扱いをする人間だから、かれがいちばん大変だったろうとおもう。ても、かれは根が陽気な人間なところも持ちあわせている。それがいに物事を深刻に考え込みすぎるタイプだったとしたら、ばくたちの波長がうまく噛み合わないて、おたがいにいくぶん気まずいおもいをするようなこ手の吉永正人にはマルをあげたい。三冠ジョッキーは、むろんりっぱな栄挙は松山さんと握手をかわした。いま、してみて、おや、と不思議におもうァjのは弥生質の勝利、てあった。三冠をかけたレースてあれはど冷静沈着てあった松山さんが、どうしてクラシックの前哨戦ともいうべき弥生買、てあれほどR王冠を弥生代のときがいちばん興栢していたというのは、たしかに当たっているかもしれません。あのとぎはね、安心したんてすよ。やっぱり強かった、よし、これならクラシック戦線ても何とかやれそうだ、そういう感触をつかんだレースてしたから、内心のよろこびが態度に出てしまったんてしょう。ボ党、てしたね。—フェクトてした。取る位置にしても、追い出しのタイミングにしても、どこといって文句のつけようもないくらいに、すべてにわたって完璧てした。シービークロスが目黒記念、毎吉、水がシービーて再現してくれたということて、よろこ‘びがもの凄く大きかったんてすね。よし、シービーにこんしいものをつかんだんですよ。競馬ては何がいちばん大切かといったら、それは、馬とのバランス、といいうことがあるけれども、これは、馬教師も騎手も厩務只も、なんとかして、ていく、ということになるわけて、その馬とのバランスの理想的なかたちがすよ。だから、ことシー、ビーに関していえば、望みうる最良のものがあのレしてしまった、というわけですよ。6し、これなら、という松山さんれは、馬に水をやって、厩舎を見廻ってくれたわけだけれども、あれにしたって眼に見えない大きな貢献ですよ。厩舎の夜の事故なんて、たしかにめったに起こりうるものてはない。一年に一度か二度、せいぜいそんなものかもしれない。しかし、われわれは馬主さんの卓晶重な財産を預かっているわけだから、てきるかぎり万全の事故防止に努めなければならない。だって、年に一度だけ事故が起こって、それがシービーだった、ということだってありうるわけてしょ。そういうことからいえば、あの厩務員はシービーの担当者、てはないにしても、間接を果たしてくれているわけてすよ。こんなふうに厩舎の関係者全員が、それぞれの守備範囲‘て責任を果たしてくれている、ということを考えると、シービーの三冠は、結局まわりの人たち、関係者みんなの日常の協力が実った結果じゃないか、といえるんてす。こんなふうに、厩舎の機構というものを知ってもらえたら、ぼくが何度もいう意味も分かってもらえるんじゃないかとおもいます。もちろん、ひとりひとりの貢献度に園のお採点ふうにいえば、ミスターシービーに対しては、大きな二重の花マルをあげなきゃいけない。つぎは?つぎはそう、佐藤(忠雄)厩務員、てしょ者だろうから。シービーが病気のときなんて、いろいろと考え込んだことだろうとおもうよ。シービーを休ませてやってくれただけれども、佐藤厩務員の努力に比べれば、やはり点数はちょっと下がるんじゃないか。な報告をしてくれた沢(峰次)調教助手や新畑(繁)調教助手の役割も大きかっマルをあげたい。かった。われわれの仕事ぶりを信頼しても大きな協力者のひとりだった。どんなマルがぼくにふさわしいのかはフジノさんが適当に決めてくださればいいてすよ。ぼくはばくなりにベストもう十分てすよ。ったなんて、とんてもない話てすよ。いられない、ああ、見ていられないとだ、あとは乗り役とシービーに任せるのところがフジ/さんの眼にいくらかさらにまた、馬主さんの存在も大きいった具合で、冷静沈着とはおよそ縁馬に対してやさしいし、おもいやりだし、ひょうきんといってもいいよう救いだったね。かれがもし、ぼくみたともあったかもしれない。だから、調教師と厩務員の気質の違い、というのもラッキーなことのひとつだったようそんなわけて佐藤厩務員には文句なしに大きな花マルをあげたいね。騎弥生賞、皐月買、ダービー、菊花買と、ミスターシービーが勝ったびに私そのときの情景をひとつひとつ想い返とがある。私の記憶に間違いがなければの話だが、この四つのレースのなかて、松山さんがいちばん興奮していた調教師会の仕事や何やらで留守がち調教師てあるぼくはどんなマルを受だったほくのために、いろいろと緻密たし、さまざまな配應をしてくれた厩務員たちにも、それに見合った小さな支援してくれた馬主さんも、やはりとけとるかって?さあ、それはねえ、を尽くした、父の指導とか助言を受けながら、とにもかくにもやるべきことをやった。その満足感だけて、ぼくは典奮したのか、私にはどうにも不思笥松山三冠レースてぼくが冷静沈着だ内心はもう嵐みたいなもんてね、見て遠い心理状態てしたよ。てもまあ、調教師としてはやるべきことはやったんしかないと観念しきっていたから、そ冷静だと映ったんてしょう述覇したときもあの感触てね、それをなレースがてきるんなら、クラシックても何とかなるぞ、と、初めて自信らうことてしょ。人の適性、馬の適性とを人にあわせるのてはなく、人が馬をわがものにするというのてもない。調あるいは、なんとしても、馬の適性を墨しながらそれにあったやり方をし弥生買というレースて実現てきたんてースから得られたわけて、それてばくもフジノさんに見破られるくらい典栢けていった厩務員がいたてしょ?か的にはシービーのためにひとつの役割繰り返して、チームワークの勝利だとは追いはありますよ。うちの娘の幼稚うね。われわれ関係者のなかでは、なんといってもかれがベストワンの功労→5

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