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―――――――ニ―――――――――――――――――――――――みんながヒーローだった。それが、馬の索質を引き出した。ぞす。るんてす。条件てす。れたものです。九十。ハーセントは馬のもった素質て、われわれ人間がそれぞれの守備範圃てたずさわれる部分は残された十。ハーセントなんてすよ。生産十パーセントを分かちあう存在てしかないんてすよ。だから、けっして誤解してはいけないとおもう。調教師は、自分の馬づくりやコンディションのもっていき方がよかったから勝てたのだ、なんてことは、けっしておもうべきてはないし、騎手は、自分の腕で勝った、なんておもうべきてはない。自信をもつことは構わないけれども、自分の腕て、それがために勝った、なんてことはおもってはいけない。調教助手にしても、自分の調教のつけ方、調教の方法がよかったから勝てた、なんてことはおもうべきじゃないすべてはミスターシービーの偉さだった。シービーの抜きん出た実力がすべてだった、という松山さんのことばには、何ひとつとして巽論をさしはさむ余地はなかった。しかし、いっぽうにおいて、どのような素質馬てあったにしても、その能力を最大限に引き出してくれるスタッフの努力がなかったかたちて大きく開花させることは不可能だったはずだ、と、私はおもう。したがって、そういった意味あいからいえば、松山さんのいう「残された十。ハ勝てたなんてうぬばれてはいけない。なんていう夢にもおもっていなかったきるとおもう。ぼくまてがヒーローにしてもらえるのは、気持ちのうえてはとてもありがたいえないんてすよ。ほんとうのヒーローはシービーて、シービー以外のだれの感激は味わえるんてすよ。ーセント」とは、とてつもなく大きな十パーセントのはずてある。質を引き出した、ということを考えると、関係者全員がヒーローだった、と間がひとつの目標に向かって邁進し、あい、その目標達成にかかわりあったあるというのは、どの世界ても同じことじゃないてすか。シービーのばあいには、こういったてもおおい、とおもうんてす。の、いわばシービーが幼年期に出会った人たちの努力や愛情も忘れてはいけ、ビーは松山厩舎に入って来る前に、こを過ごさせてもらっているんてす。これは大きいんてすよ。シービーに出会ったいろいろな環境のいろいろな人たちが、それぞれ精一杯に努力してシービーに合った環境をつくりあげてくれた。これは、とても大きな殊煎といえというのも、いい馬というものは、ってきた人たちの適正な愛情や協力やなものだといえますね。もっとも、能力のある馬てないとだめてすよ。能力の不足した馬が、いくら最高の環境て、いくらジャストフィットした管理をされても、それて強い時代を過ごさせてやれば、それて馬は走るようになるというほど、サラブレッドの育成は単純なものてはない。あくまても馬のもっている能力が大きな厩舎にはいってきてからも、シービーはたくさんの人たちの世話を受けているんてす。たとえば、さっき声をかしたがって、三冠馬の調教師としていんだけれども、いまいった十。ハーセントの部分を考えてみると、おれがやった、なんていうことは冗談にだっているのがぼくなんだから•…••Oてもね、フジJさん、残された十。ハーセントの何分の一かの役割、てあったにしても、もう死んてもいい、くらいいえるかもしれませんね。何人もの人運よく目標を達成することがてきたばんてなんかいられるか、というのが現実なんだけれども、ひとりの調教師として三冠馬をもてたよろこびを正直に表現しろといわれたら、もう何もおもい残すことはない、死んてもいい、という気持ちがいちばんぴったりするんしかし、そういった気持ちをもっとわれても、ばくには、どうしてもそれがおもてに出せない。素直じゃない、正直じゃない、といわれたらそれまてなんだけれども、自分に対する替戒心というか、受けとったものの大きさに対するとまどいというか。ともかく、そういったものが気持ちのなかにひっかかっていて、どうしても有項天になって浮かれるようなことはてきない。こだわりのひとつは、ぼくがまだ半信半疑、ている、というところにもある。とおもう。どうしてこうなったのか、なぜ、ぼくのような青ニオに三冠が取らせてもらえたのか、それがいまもって分からない。ほんとうなのか、夢じゃないのか、と、半信半疑て、どうにもならないんだね。さらにまた、こういったふうにも考えているんてす。たしかに、ばくは、ミスターシービーの調教師としてシー、ビーの三冠逹成に介在した。それはたしかだ、たしかだけれども、三冠を取ったのはシービーの実力以外の何ものてもない。馬が偉かった、やはり馬だ、そう確信しているぼくの気持ちが、有頂天になったり、浮かれたりすることを妨げているんじゃないか。てもね、フジノさん、このことは、とても大切なことじゃないかとおもいますよ。一二冠馬なんていうのは、結局のところ、すばらしい素質をもった馬の生命力、意志力をわれわれ関係者がし、厩務員も、自分の扱いのうまさてそれぞれが、それぞれの守備範囲て手伝いがてきた。その結果として三冠馬ものが誕生した。すべては、それに尽松山月並みないい方だけれども、みんなが陰ながら努力した結果が馬の素間違いなく引き出した結果として生ま者もオーナーも調教師も調教助手も厩務員も騎手も、すべてがこの残されたならば、その持てる索質を三冠という大きなヒーロー、小さなヒーローがとまず、シービーが生まれた浦河の岡本牧場の人たち、ついでシービーを育成してくれた群馬の千明牧場。これらないことてしょう。というのは、シーういった牧場て、気持ちよく育成時代育ってきた環境や、その馬にたずさわ努力がびったりとはまってこなければ生まれないんてす。いい馬は、どの馬てもそうてすよ。一貫した、適正な幼年期を過ごすこと、これは、われわれが想像しているよりも、はるかに重要馬になるというものてはない。愛情を注げば走る、終始一貫した適正な幼年てもない、そのことをいちばん知ってすべての人が大なり小なりヒーローて魯に態度に出して表現しなさいとい57 四けいば13烏ものがたり

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