われた。と書いた。げることができたものを:;..oであった。れますよ。しかし、つい先日、とある席で私は、とてもうれしいニュースを新聞記者さんから聞いた。私の記事を覚えていてくれたあるテレピ局の人が、リードホーユーから京都新聞杯の馬券を買って、れた、どうもありがとう、という伝言ミスターシービーのパドックについては何も語ることはない。この燃えて走る馬が、四馬身の差をもって完勝することを私は確信していた。ダイゼンキングについては、心情的な思いいれが強すぎて、その判断に冷静を欠くところがあるから、あまり刊信はない。馬体は絶好調時の八分程度以上に回復しているとおもわれたが、三千ッいの距離は、かれにとって長すぎをもつかれが、なしくずしにスタミナを消耗しないことを祈るのみだ。ビンゴカンタは、あいかわらず焦れ込みかげんのステップでパドックを圃っている。まるで、かれひとりがタッ。フダンスを踊っているかのようだ。しかし、こういった状態であっても、かれはレースではきっちりと日分のペースを守って追ることができる。人たちがパドックを見終えた私に訊ねた。予定どおりでいいですね、と私は答えた。連複は、③①、①⑤、④⑦の三点で完咽です。これ以外の枠の鳥が上位に米るようであれば、もう優駿に原稿を鼻くのはやめますよ。シャダイソフィアの桜花代のときにもやってきてくれた三人は、ミスターシービーがソフィアのときよりも、もっと楽に勝つ、という私のことばを索直に侶川してくれた。それじゃあ、今夜は加戊川の河原で月買のころと違って、調子がよくなってきてますからね、きっと頑張ってく着順なんかええですわ、と、寺井末作さんがおばあちゃんの気持ちを代弁していった。ともかく、無事に駆けてきてくれれば、それでええですわ。オーナーの大塚弘芙さんご夫妻が、寺片さんたちのかたわらに立って、あれこれと気を配っていた。寒くありませんか、おばあちゃん、おなかは空きませんか、おばあちゃん……。昨晩は、みんなで「優駿」の宝島を読んで過ごしたんです、と、大塚さんがいった。いつもいつも、ダイゼンのことを書いてくださって、ほんとうにありがとう。わたしが、えりものおばあちゃんに来てもらいたいとおもったのも、実は、えりもの牧場を訪ねてくださった記事を読んだからなんです。お陰さまで、わたしたち、とても気が合っていますよ。これは、つい最近になって聞いた話だけれども、大塚さんは、いずれダイゼンキングを今後の競走成績に関係なく、種牡馬として残してやりたいと念じているそうである。内国産種牡馬ダイゼンキングを生まれ故郷のえりものおばあちゃんの牧場に帰し、適当な牝馬を配合して、その仔たちを競馬場で走らせてやりたいと念じているそうである。菊花賞のパドックでは、マンノタロ、リードホーユー、ミスターシービー、ダイゼンキング、ピンゴカンタといったあたりが私の眼にはよく映った。ビンゴカンタのうしろを歩いている馬が奇妙によく見えたが、乗り役の岩元市三騎手はよく知っていても、馬のほうは全然知らなかった。シンプラウン、ボールドラッドの仔か、それじゃあ、二千Mあたりがベストだな、と、私はこれを軽く一蹴してしまった。マンノタロは初めて見る馬だが、がっしりした、。ハワーのありそうな馬である。父エルセンタウロに祉マサコサン(その父バウンティアス)という血いともかんたんに万馬券を的中させら統をみると、私は、この馬を障害で走らせてみたらどんなに強いだろう、とおもった。血統からいえば、日本で望みうる最高の障害血統で、飛ぷことを本人が好みさえすれば、中山大障害を五連覇くらいはできそうな馬だとおもリードホーユー、この馬については私の期待はもの凄く大きい。もし、ミスターシービーが今後のレースで同期生に敗れることがあるとしたら、それは、このリードホーユーかビンゴカンタではないかとおもっている。四歳クラシックの最大の惑星と見られていたリードホーユーが、四百万条伴の「ゆきやなぎ賞」を勝ったのち、骨折していることが判明したのは二月士二日のことだった。全治一年、という診断であった。ああ、これでリードホーユーの四歳クラシック戦線復帰は絶望的だ、とおもった私は、五歳のかれに期待をつなぎ、「しかし、私たちは、一年ののちにふたたびリードホーユーの雄姿に再会できるはずだ。おそらくは、天皇賞か鷹記念の舞台で……」(本誌四月号)そのリードホーユーが敢然と京都新聞杯に出走してきたときには、私は歯ぎしりして悔んだ。神戸新聞杯のあとに栗東トレセンにやってきたおり、労を惜しまず服部先生に会って、リードホーユーの近況を取材していれば、京都新聞杯の有力馬のなかにこの馬を上はしないか?一瞬の決め手に非凡さどうですか?大阪在住の三人の友56
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