つたと『`いない。てくれた。という経験は皆無の私にしてみれば、これはもう、天地動転の驚畏である。残された二冠のうちの菊花賞は、むろんミスターシービー、エリザベス女王杯はいわずとしれたシャダイソフィアだ。シービーもソフィアも私の夢をのせて走ってくれるだろう。そして、シーピーは一二冠を、ソフィアは二冠を手にいれるだろう。かくして十一月十日、私は、ミスターシービーは四馬身の差をもって菊花買を完勝する、と友人たちに宣言して新幹線に飛び乗った。今朝、栗東のトレセンでは菊花賞に出走する馬たちがそれぞれの陣営の思惑をこめて追い切られているはずであった。かれもいない。潜行取材が得意技の佐藤さんのことだから、きっとまだ、どこかの厩舎の物蔭から有力馬の馬体を観察しているのかもしれない。超人佐藤洋一郎が納得のいく取材を終えて帰ってくるのは常に真夜中である。ミスターシービーは、はたしてどんいた、いた、あの後ろ姿はどうやら東京スポーツの紺野真記者だ、紺野さん、紺野さん、追い切りの様子を聞かせてくれませんか?紺野真記者は、優駿誌上で行われた第50代ダービー馬探しに、ただひとりのことで、まだ一勝馬だったときのことだから、私などよりはるかにカンタについては知悉している人物だ。ごろ到着ですか。菊花賞出走組は、今朝すべて追い切りを終えましたよ。いから、ぽくが馬だったら完璧な未勝利馬でしょうね。紺野さんがいった。紺野さんは、私がしたことを知っていて、ビンゴカンタをさしおいてシービーの様子から教えビーのころのシーピーに戻っているとおもいますね。こで私は、ダイゼンキングと、そして愛しのシャダイソフィアに巡り会えたのだ。このレースを見ていなかったとしたら、とても私はシャダイソフィアの桜花償勝ちを予言できなかったに違ともかく、そのミスターシービーが皐月竹を勝ちダービーを勝った。ビンゴカンタも、けっして得意とはいえない不良馬場の皐月賞を四着と頑張り、ダーピーでも三着に食いこんだ。ミスターシービーのおかげで牡馬の四歳クラシックの二冠を、シャダイソフィアとダイナカールのおかげで牝馬の二冠を的中させた私は、この秋を迎えて残された二冠に挑戦しようとしている。四歳クラシック六冠の的中など栗東トレセンの報道陣宿舎には、一種の緊張感と興奮とがみなぎっていた。菊花買の追い切りの取材を終えた新聞記者たちが、夕食の食卓を囲みながらそれぞれの感想を声高に、あるいは声をひそめて語りあっていた。ミスターシービーとか、カツラギエースとか、ビンゴカンタとか、リードホーユーとかいった名前が、あちらこちらで飛ぴ交っている。食堂の入り口に立って、私は必死に顔見知りを探した。関西の新聞記者さんには残念ながら親しく日をきける知人がいない。頼みの綱は、東京から取材にやってきている記者さんたちだ。さんの姿は見当たらない。サンケイスやあ、と、紺野さんが笑った。いまいつも出遅れるんです。差し脚も鈍シービーがよくなりましたよ、と、「宝島」でシービーを菊花賞馬と指名今朝の追い切りも完璧でした、ダー気合乗りも、ですか?ええ、気合も完璧です。そりやあ、うれしいな。で、どうなポーツの佐藤洋一郎さんは?残念、な追い切りをやったのだろう?とてもではないが、私は真夜中まで待ちきれない。だれかいないかしら?あ、夕刊フジのサガさんは?残念、サガ敢然とピンゴカンタの名をあげたである。カンタがいちょう特別を勝つ前力‘◄菊花賞の調教は完璧だった50 クしど蹟肩, ゴつンよu
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