寿司屋の政も、トルコの桃ちゃんも…ある。している。も個性的であれば、すべての競走馬を愛した。ちがった見方ができた。つけにすぎるだろうか。ダービーを逃げ切ったキーストンについて土日いたものに、一種のって、恥じたことを告白しなければならぬ。予言していたのだから。ちらついていた、と寺山は書く。囚坦ってくるのはダイコーターではなくて、キーストン自身だ。キーストンの死なのだ」だといっても誰も否定しないだろう。キーストンは、阪神大買典の直線で前肢を骨折する。「キーストンは立止まり、落馬した騎手は二、三米ころがると、そのまま動かなくなった。フイニイらの一団が、風のようにその傍らを首をふっていた。がわかった。よろめくようにキーストンは、た。それがキーストンの最後だった。」寺山修司の死はもう思い出でしかないが、残ることは確実だ。私は寺山修司に別れをつーフにもどりたい。から遠ざかった私を挑発するかのように、シュフコーの絨言をつぶやくのだった。まったくその通りだった。ところで競馬場のおのぼりさんである私は、が発売されるのを、私は驚嘆の眼でみつめた。それらの感動をこまかく記しても始まるまい。の一節をまたしても想起していたのである。「競馬場に足をふみ入れるたびに、何時も感に翼のようにひろがっている不思議な熱気でことはない。現在形のまま進行しているものにだけ、生の燃焼と同じはげしさで、死もまことは、それは同じだけの数の馬について、好奇心を抱いたことを意味する。共感したこであり、詩人の想像力に脱帽するほかはない。だから寺山修司には、特定のタイプーー洸)ンも愛していた。トウショウボーイ、テンポrダービーを見にで50回を記念する東京優日ほど前、赤木駿介氏からて私は、これは寺山の奴が私にそれを命じたのだと、勝手にきめこんだのだ。もっともその政も、トルコの桃ちゃんも、この日は何をとともに、人生の比喩としての、男のロマンとしての競馬を愛した、全国の競馬ファン、寺山ファンはみんな勝手にそうきめこんで、馬場であるいはTV修司よ、もって瞑すべし。別な機会ー|土ヽれもごく稀に場外馬券を、その製作と会社の運営にだけに没頭する生活で、貞淑な仕事人間だった。「競馬より仕事の方がにすぎないのだ。まさに寺山が好例ではない識の肯任者であったが、シニックな日調で、よく私に語った。「組織を維持するには、スターリニズムがもっともいい。それしか方法がない」ロニーでしかなかった。それよりも彼は競馬五月ニト九日、私は東京競馬場にいた。十来ませんか」と誘われたのだった。私はよろこんで招きに応じた。私は少し大袈裟に言うなら、寺山修司の代役として、今年のダービーを見る義務があると考えたのである。そしう考えたのは私ひとりではあるまい。寿司屋おいても駈けつけただろう。そして寺山修司駿競走をごらんになったにちがいない。寺山ところで私はといえば、競馬場のおのぼりさんであった。ダービーや有馬記念など、特れも誰かに依頼して、ほんの数枚もとめて楽しむひとりだった。この十数年間、私は競馬場にも競馬界にも無縁であった。私は自分たちが作った紐織の責任者として、テレビ番組面白い」と言い放ってはみたが、それは弁解か。その彼は、私たちとはちがった形態の組彼はそう言ってあの少し羞いを含んだ笑顔を見せた。だがそれは断るまでもなく、アイすべてのものが物珍らしく新鮮だった。話には聞いていたが、極めて能率的に機械で馬券私はかつての穴場をなつかしく想起したのだが、だからといって現在の形態に不満を表明するつもりはない。すべてが機能的で、機能的であることは美的だった。けれども私は快的な雰囲気のなかで、なぜか寺山修司の文章じるのは、巨大な『死の賢』がスタンドの上彼の見方によれば、それは競馬ファンの現在信仰からだ。前レースを終って捨てさられた馬券や古い新聞には「死が」まとわりつくた燃焼しているーー。寺山修司が疾走して私たちの前から姿を消したいま、この指摘は競馬についてのクリティクを超えて、彼自身の生き方を予言したようにも思われる。彼はさまざまな馬を愛した。彼の競馬についてのドキュメントを再読してみるがいい。彼はおびただしい数の馬について語っている。というとを意味する。それは実際、驚嘆すべきものげ馬とか、追込み馬とかを偏愛することはなかった。カプトシローも、ホワイトフォンテイントはいうまでもない、彼はひとかけらでその点では、逃げ馬一辺倒の私とはずいぶんその寺山修司が、と書くのはいささかこじ死の予兆すら感じられるのは不思議としか表現しようがない。キーストンは走りながら死んだという。私はそのことを寺山の文章で知なぜなら昭和囮卜年、私は寺山修司に早くからダービーにおけるキーストンの逃げ切りをキーストンの逃げには、早くから死の翡がこれもまた彼自身の生き方についての言葉その部分の描写は、パセティックな美にみち駈け抜けて行き、立止ったキーストンはただ誰から見ても、前脚の一木が折れているの三本の脚で、自分の『死』に向って歩き出しその思い出は、永く競馬を愛する人々の心にげ、もう一度、あの死の騎のただよう緑のタ「貞淑とは情熱の怠惰である」.口33 ■E辿寧区己三E'i:;II
元のページ ../index.html#13