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栄光と挫折と以1んで行く。「別に逃げる気はなかった。002いで1分35秒台が出せれば、スピード馬として大手を振ることができた。それを、決16002ほかの馬が行けば行かせて、自分の競馬をするつもりだった。勝ったと思ったのはが来たけど、そこでまた引き離せたし、余裕があったからね」ドに至るというトウショウボーイのレースぶりを、エ夫しながら定着させたのは、ほかならぬ武騎手だった。大仕事だった。せた、文字通りの小手調べだったが、ここで恐るべきパフォーマンスを見せる16。00討。それに、馬場も今とは比べものにならない時計の出にくい馬場である。当時は、16してまったのだ。一体、この馬の潜在能力はどこまであるのか。このパフォーマンスを見せられては、つぎの天呈打で、トウショウボーイの勝利を疑うものはいなかった。コーナー。テンポイント武騎手はそう振り返ったが、小細工を弄さず、ゆっくりと加速して最後は強烈なスピートウショウボーイはつづく高松宮杯もものにして、休液に入る。天星竹制覇が残された休義を終えると、トウショウボーイは中山のオープンレースに出走した。見習騎手を釆分33秒6というH本レコードをたたき出したのだ。見習騎手とはいえ、負担龍批は58いが得滋とはいえないトウショウボーイが整異的なレコードで駆け抜けてし冷静になって考えれば、トウショウボーイにとって、3200だが、完望な>ースの代償は大きかった。前脚の痛みは、年が明けると慢性的になり、満足な調教ができなくなった。トウショウボーイはしばらく戦列を離れることになる。その間にライバルたちは成長を見せはじめていた。年明けのAJC杯ではグリーングラスがヤマブキオー以下にレコード勝ちして、菊花竹馬の打録を示した。テンボイントは春の天皇打のステップ>ースを連勝し、はじめてのビッグタイトルヘの執念を見せていた。そして、春の天阜牲は、テンポイントが制した。だが、勝ったテンポイントの陣営はもちろん、歯替わりで体調が不十分だったグリーングラスの陣営も、不在のトウショウボーイを倒さなければ、真のナンバーワンとはいえないことは、十分に承知していた。トウショウボーイにようやく出走態勢が整ったのは6月はじめの宝塚記念だった。この>ースには、テンポイント、グリーングラスをはじめ、古馬のトップクラスが顔をそろえていた。わずか6頭立てだったが、Vベルは恐ろしく古rかった。>ースはトウショウボーイの先導ではじまった。テンポイントが続き、グリーングラス3コーナー過ぎからペースが速くなる。テンボイントもグリーングラスもトウショウポーイだけをマークしていた。しかし、トウショウ‘ボーイはその2頭をあざ笑うように、最後の3ハロンをすべて11秒台のラップで上がって2頭、を寄せ付けなかった。ばの天阜賞は、決して楽が3番手、ほかの3頭は引き離された。一列縦隊でまるで競輪の周同のように>ースが進京都新聞杯。ムチを使って追うクライムカイザーに対し、トウショ三冠最終章の菊花賞。内からスルスルと伸ぴるグリーングラスがピ7碑有馬記念っトウショウポーイの時代到来を告げるかのような、完璧な勝利で一年を締めくくったウポーイはムチを使わず。着差以上の勝利だったッグタイトルをもぎ取った4The Legend of Heroes in 20th Century

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