れていない。安田富男騎手に操られたグリーングラスである。ショウボーイは3着だった。れたのならともかく、ほとんどノーマークの条件上がりの伏兵に敗れたのだから。距離か、推された。陣営にとっても、布馬記念は二度の屈辱を晴らす絶好の機会である。有馬記念に臨んだ。このUの手綱は、菊花打の福永騎手ではなく、武邦彦騎手が取った。はスムーズにレースを進め、3コーナーから進出すると、4コーナーでは先頭に並びかけ、直線、らくらくと抜け出して先頭に立った。馬群にもまれながら進出してきたテンボイントが坂下から追限を見せるが、トウショウボーイを脅かすには至らない。2分34秒0というレコードタイムで、トウショウボーイはH本一のゴールテープを切った。「ああ、やっぱり、トウショウボーイが一番強いんだ」イは文句なしで年度代表馬に選出された。トウショウボーイは、クライムカイザーに先着し、ダービーの淡さを幾分かは晴らした。しかし、ゴーJVしたとき、トウショウボーイの前には1頭、馬がいた。ダートの鬼といわれたグレートセイカンである。札幌の重たい砂コースをスイスイ進むグレートセイカンを、追えども追えども捕まえきれず、もどかしい2着だった。不運な敗戦がつづいたが、怠気消沈してはいられない。秋には約花打が待っている。一息入れてリフレッシュしたトウショウボーイは、神戸新聞杯から復帰すると、みごとな成長ぶりを示した。福‘水洋一騎手を背に、2社に5鳥身差をつける2000以1分58秒9の体調か。いずれにしても屈唇ではあった。猛時計勝ち。当時、2000以で2分を切るのは至難の業だったから、この時計がいかにすさまじいものだったかわかる。続く京都新聞杯にも勝って、トウショウボーイは、ダービーにつづき、菊花伐でも圧倒的な1番人気に推された。しかし、トウショウボーイには、不占な彩が忍び寄っていた。引退するまで悩まされることになる左前脚の痛み。その前兆ともいえるような熱が、脚に現れていたのだ。陣営は、誰にも明かさず、必死に手当てをして無F出走にこぎつけた。人気を背負う上に、はじめての距離、そして脚元の不安と、ファンが考えるほど、楽観できる材料は多くはなかった。雨模様の"唸天のもと行われたレースは、4コーナーを回ると、トウショウボーイと、ダービーの骨折から立ち直ったテンポイントが並ぶように先頭に立った。一騎打ちだ。しかも、今Hはテンボイントに勢いがある。京都名物の生垣を過ぎると、テンポイントが鳥場の真ん中を通り先頭に立った。トウショウポーイは伸びを欠く。ゴールに殺到するテンポイント。そのとき、ファンは、内ラチいっぱいに、大柄な鹿毛馬が伸びてくるのを見た。このとき、のちに三強と呼ばれるようになる馬が、はじめて頗をそろえたことになる。しかし、ダービー、菊花打と敗れても、トウショウボーイは打馬記念ファン投栗1位にトウショウボーイは、占馬を向こうに回し、ファン投栗1位、当Hの単勝人気も1位でエリモジョージ、スピリットスワプスなどが先行する速い流れの中、トウショウボーイファンの誰もが認めるような、完嵯な勝利だった。この勝利によって、トウショウボー兵だった。グリーングラスはテンポイントの追幣を2馬身半退け、菊化賞を制した。トウ春のクラシックに釆り近れ、直前の条件特別を勝って、ようやく出走権を手に入れた伏菊花代の敗北は、ダービーのとき以上に、陣営にとって衝陪だった。テンポイントに敗神戸新聞杯はレコードでクライムカイザー以下を完封To sh o Boy 61 YUSHUN 2004キDECEMBER
元のページ ../index.html#39