遅いデビューと潔い引き際年(87|6、757)年(9ー170)、58年(93|7、75)9年(75|円。、さきょ(7着)に敗はお悩みだ。付けて産駒数44頭)、54年(78|6、05)5年(81|6、45)6昭和48年4月15日、北海道静内町東別の藤正牧場で、54)6、0年(74|産駒未定)となっている。今春お相手の120回前後だそうだが、これだけの2着、菊を生産者たちに印象付けた。それが今春、花嫁が集まった最大の因だろう。トウショウボーイは今や完全にテスコボ—イの後継者としての地位を確立した。ターフのヒーローは種牡馬になってもヒーローとなった。ただ、わが世の春を謳歌しているトウショウボーイにとって連日の種付けは決して楽な”お仕事”ではないようだ。「一日三回、朝昼夕とーニ回続けるとさすがに疲れがひどいよつで……。もう少し精力が強いといいんですけどね」と徳永場長年間種付け回数は平均して受胎率は悪くない。初種付け以来の産駒は、53年(7頭1名牝たちがどんな仔を生むか。四年後のクラシックでトウショウボーイ旋風が起こり、その中からシンボリルドルフやシリウスシンポリもまだ果たしていない欧米制覇の夢を叶えてくれるような大物産駒の出る可能性を信じたい。トウショウポーイくらい潔い競走生活を送ったサラブレッドも珍しい。デビューは四歳春の51年ー月、そして最後のレースは五歳暮れの12月。丸二年間に競走聞杯、京都新聞杯、有馬記念、宝塚記念、高松宮杯の六つの重賞レースに優勝したが、ダービーは花賞3着、そして天皇賞は生涯唯一の着外れた。15戦10勝、総股得賞金2億8077万4800中距離馬であった。無事これ名馬の典型でもある。三歳時はテスコポーイの仔によくある腰の甘さがあったといわれるが、五歳時に深管骨疱のため半年ほど休養を取った以外は、出走すれば必ず持ち前のスピードを見せ、故陵もせずに―二つのレコードも出した。母ソシアルパターフライの八番仔として誕生したトウショウポーイは、当歳時から個性の強いサラブレッドとして注目された。兄(トウショウピット、トウショウプリンスら)姉(プルートウショウ、ソシアルトウショウら)が、どちらかというと神経質なタイプだったのに2500”Ivを超えた長距離は敗れたが、不世出の能力のすぺてをぶつつけた。その間、皐月賞、神戸新ー▲►ダーピー、菊花賞とここ一番で敗れたうっぷんを有馬記念で晴らし実力日本一の座に。勝ちタイム2分34秒0はレコード、2酒にテンポイント33
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