カら•…••」いとこはどうかという気持ちがあったんだ。体型的にもひょっとしたら、二千ゾ年までに絶対的強さを見せる馬なのかも知れないなあ」と距離に疑問を投けかけた。チャイナロックの産駒といえば、なんといっても夕ケシパオーが知られるが、タケシパオーは古馬になっても短、中、長距離、芝、ダート、重馬場と、いかなる条件下でも万能的に強さを発揮した。血統的にも夕ケシパオーのプルードメア・サイヤー(母の父)が長距離系プリメロの産駒のヤシママンナであるのに対し、ハイセイコーは短距離系のカリムである。その意味では血の宿命による敗戦かとも思えた。増沢騎手は「秋の菊花賞で無念を晴らしたい」とつけ加えたが、その言葉もうつろに聞こえた。しかし、救いはあった。先行グループにいたハイセイコーにとっては、あまりにもハイペースすぎた。スタート後の三ハロンは47秒4。千以の通過タイムは59秒6゜典型的な先行馬総崩れの中でハイセイコーだけが三着に残ったのだから、やはり並の力量ではなかった。意地も見せたのである。この日、ハイセイコーのデピュー地・大井でも競馬が勝者は戦い続ければ、いつの日か敗れることはしか敗れたがハイセイコーは堂々としていた。馬道に消開催されており、関係者は勝利のニュースを待ちわびたが、ウグイス譲の喜びの声はついに放送されなかった。ハイセイコーの馬券を持たない公営ファンの中には、その敗戦を知らされて涙を流し、やけ酒をあおる者もあったという。たないが、その日がやや早過ぎた。「せめてダーピーだけは勝たせてやりたかった」と私達多くのファンは思ったものだ。勝たねばならない馬が敗れ、サクセス・ストーリーは未完となった。えていくハイセイコーは、自らの敗戦がわかっているのか静かに歩を進めたが、それがまた美しく、共感を呼び起こした。入厩からこの日まで百三十二日間、愛馬の仕上げに心を注いできた大場厩務員がレース中にスリむいた左後肢の負傷を手当てしながらつぶやいた。「パドックからゴール直後まで”ハイセイコー、ハイセイコー"と声援してくれた子供達に少し悲しい思いをさせたのがつらいですね。こいつはほんとに人気者です▲宝塚記念天皇賞で6着に敗れて初めて2番人気となったが、奮起したハイセイコーはレコードタイムで圧勝した▼最後のレースとなった49年有煕記念タニノチカラには5熙身の差をつけられたが、宿敵タケホープにクピ差だけ先着して2着を死守した▼昭和49年中山記念5歳緒森のAJ C杯で9着と大敗そのうっふんを晴らす快走だった2着トーヨーアサヒ、3沿タケホーフに大差をつけての独走に、ハイセイコーファンは歓喜した►高松宮杯ハイセイコーをひと目見ようと、中京競熙場最多の6万8干人余のファンがつめかけたファンの声援に応えての快勝て^中距離の王者鼻と呼ばれる24
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