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c'い。nrcS誕生した。しとい原稿を打電したことも忘れられない弥生賞、スフリング形藤吉調教師は「評判どおりの馬でこざいますナ体格がいいというだけでなく、動きの柔らかい立派な競走馬になれる素質が充分にございます」とその素質に太鼓皐月賞は四月十五日に十六頭立てで争われたしと春雨の降る中山のターフコース。ハイセイコーは関西馬ホウシュウエイトをわずかに抑えて一番人気に支持されたが、三コーナー過ぎから先頭に立ち、初の重馬場をものともせず、カネイコマに二馬身半の差をつけて優勝した。四コーナーで外にふくれてヒャッとさせたが、増沢騎手が巧みに立ち直らせて、無敵の戴冠となった。五百ニキロの鹿毛の巨体を誇らしげにゆすって、突き進む様は、野武士の印象そのもので、まさに怪物の真価を示したといっていい。公営出身の皐月賞馬は初めてであり、もちろんその後も出現していな「マスコミが怪物、怪物と騒ぐけれど、皐月賞に脱つまでは自分自身本当に走るのかどうか疑問の点もありました。でも、これで自信がさらに大きくなりました」愛馬を世話しながら大場厩務員は、二冠制覇への期待に胸をふくらませたハイセイコーは昭和四十五年一_一月六日に北海道新冠の武田牧場で生まれた。父チャイナロック、母はカリム牝馬のハイユウ生まれた時からひと際目立った馬で、追い運動でも一度も先頭を譲ったことがなかったし、病気―つしなかった直で、武田場長は当歳の夏に「ダーピーに勝つとはいいませんが、ダーピーに出られるぐらいの素質はあると思います」と吹聴するほどであったぷわずかに相馬的な唯_の欠点は、皮情の厚い点で、毛が長く、他馬に比べると発汗が著しかったになると、その皮府の粗さがかえって野武士的な風貌ート連中を痛めつけていたところが、ファンの共感を皮府が薄いのが良し、とされるが、ハイセイコ—の場合、厚い皮門でも競走能力になんら影響しなかったを突破したハイセイコーは白馬格はあったし、性質も素しかし、レースに出るようl)うしてヒーローなき時代に、新しきヒーローが星を八つ重ねて皐月賞に臨んだ当時元気であった尾馬でございます日頃の稽古を見ておりましても三冠判を押していたを与又たピロードのような薄い皮府をまとったエリ呼んだ一因であったのかもしれないサラプレッドは▲市・重煕場の皐月賞500亭。の里い巨体が雨に躍って9連勝`怪物”というニソクネームもこの頃かいちはん似合っていた►NH K杯誰もが負けた、と思ったコール寸前、辛くもカネイコマをアタマ差とらえたこれて10連勝単勝・複勝とも100円の払い戻したった22

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