場宇佐美とコ武田牧ーイヽー^写真/日高新冠の武田牧勘>「ほう」に」「親父も頑固だね」の帰りであった。でもある高橋修一であった。「いい話だと思ったがな」と笠井がいった。かもしれない」「長男かい、そうさな」は途絶えた。ふと高橋が口を切った。こうから米るのは隆雄君だ」北海逍にもようやく春が訪れてきた。太陽の光は一日一日と暖かさをまし、久しく大地を覆っていた雪は消え、緑が芽をふきはじめていた。昭和二十五年のそんなある日、新冠の町に何かって、二人の男が歩いていた。無論、いまと違ってくるまなどは一台も通らない。のどかな田舎の道である。二人は武田重四郎にある話をもち込んで、ことわられて一人は笠井久吉といい、子分け馬などをもち、生産地を小まめに歩いて顔が売れていた。もう一人は武田とは親戚に当たり、競走馬の生産者「二つ返事で引き受けると思ったの「隆雄村でもいたら、話は別だった二人は肩を並べて歩いていたが話「おや、咄をすればってやつだ。向やはり武田隆雄であった。彼は二人に近寄ると人なつっこい笑顔を浮恒雄70 セイのふるさ_
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