馬史上最大のアイドルホース。も敗れても、その人気が象まで巻き起こしたことはな、つ。セイコーった。(昭和45年)3ースである。月6日に北海道新冠町の武田牧場(場主・た存在で、骨太の大きな体は生産地でもょもっていた馬々日本の競馬史上類を見ないアイドルホ部亮吉都知事のもとで公営ギャンブルが廃止に追い込まれていった趨勢のなかで「少年マガジン』の表紙を飾ったとか、『さらばハイセイコー」が35万枚を超える大ヒットとなり、ク歌手ク増沢末夫が山口百恵、桜田淳子らアイドルと共演したとか、当時の人気ぶりを物語るエピソードには事欠かない。ハイセイコーはよくオグリキャップと血統で無名牧場にうまれたオグリキャッにうまれたハイセイコーは仔馬のときからダービーヘと期待され、中央にデビュ光を浴びていた。そしてもうひとつ大きな違いは2頭の立ち位置である。オグリキャップは90年をはじめ、メジロタイヨウ(天皇賞・秋)、者だったが、ハイセイコーの時代は「ハしたのである。ハイセイコーは1970武田隆雄)でうまれた。8年ごろにはアキタノオー(菊花賞、天皇賞・春、朝日杯3歳s)、キタノオーザ(菊花賞)、キタノヒカリ(朝日杯3歳s)の兄弟を生の歴史は古く、昭和7ラブ馬の繁殖牝馬を飼養していた。サラブレッドの生産をはじめたのは50(昭和が誕生した当時は30ヘクタールほどの敷地に10頭の繁殖牝馬を飼養していた。ハイセイコーの父チャイナロックは「怪物」と謳われたタケシバオー(天皇賞・春)アカネテンリュウ(菊花賞)などを出した人気種牡馬で、母のハイユウ(父カリム)は地方の大井競馬場(東京)で16勝をあげ、三度レコードタイムを樹立した快速馬だハイセイコーは当歳のころからめだっに勝った60(昭和35年)からサラプレッド産した牧場として知られていた武田牧場業農家だったが、キタノオーザが菊花賞専門の牧場になっている。ハイセイコー話題となっていた。そのころのハイセイ25年)で、当時はまだ燕麦や豆を作る兼生まれながらに「東京都ハイセイコー様」という宛名だけでファンレターが届いたとか、美濃比較されるが、おなじ地方競馬出身でも2頭の生いたちは対照的である。地味なプはクラシック登録もなく、自力で勝ち進むことでファンを獲得していった。それにたいし、血統も一流で、著名な牧場ーするときにはすでにアイドルとして脚代はじめにおきた「競馬ブーム」の立役イセイコープーム」のなかに競馬が存在、□ 2011 DECEMBER—YUSHUN 122
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