7勝もしたレ日。うか。2連勝。ff素質開花If時は17戦3勝。だが、ビュー当時よりも32キロオ、東京牝馬特別、中山記念、東京杯など12唸でトッ。フいえようか。ましき肯年の姿であった。後のレースを見事に制覇。ず、2着であった。47キ8ロに成長していた。筋骨た<2着に1月15日、京都の5歳の32走目もマCの覇者メがいる。祖母はハクレイという。31年秋の2着で通算10勝のキングライト、障害9勝、平地3勝のジョリー、あげたのが届かずクビ差の馬、大沼Hを勝つまで長いトンネルがつづいドマーチスはグーンと大きくなっていた。デも体重が増え三千討、万葉Sに出走して来たのである。馬場は重。四コーナーで射程困まで上がって来たグランドマーチスはゴール前を恋い、そのままゴールヘ突っ走り、平地最平地から障害へ転向した緒戦は、日阪神の未勝利戦で、”何が何やらわからぬうちにおわってしまっていた"。初体験エオーのワンサイドにおわり、中団のままの9着に惨敗してしまった。つづくルブッフラワーの逃げ切りに会い、4着と新馬戦は予想外の大敗を喫した。そのあとも勝利の女神に見はなされかのような敗戦の連続。6戦未勝利で越年してしまった。だが、初勝利は意外と早くやってきた。4歳、年が明けるや早々とグランドマーチスは京都競馬の千四百討のダート戦をものにするのである。いままでの後方追走からは一変。三コーナーで二、三番手の先行策から直線半ばで先頭に躍り出て馬身差の快勝で、うれしいうれしい初勝利を調子の出たところで若菜貨もイン急襲に出てでからたち貨はケタ迩いの一番人気に推された。しかし、追い込み涙をのむ。このクビ差がまたもどん底への第た。けっきょく、4歳タフさを証明したとも歳になったグラン(4年8)3月、伊藤修きゅう舎から育ったとは何事もそのようなものなのだろうか。「四コーナー、内を突いているつもりが、外へ行ってしまっていた」と寺井はいう。この障害ジョッキー・寺井への。フレゼントであるグランドマーチスも、障害入り初陣は飾れ父がチャンピオン・サイヤーになること四度のネヴァービート、母がミスギンオーという血統のグランドマーチス。ミスギンオーのこどもに障害でも3勝をあげたチュウォーヒ中山大障害の勝ち馬である。ハクレイの産駒チェスはオークスは3着に敗れたが、5勝した馬である。そのこどもにクイーンブラックバトー。また、ハクレイの産駒ソロナオーは平地5勝、障害1勝。ロドリゴタイガーは障害3勝の成績。曽祖母銀勝の産駒に菊花賞勝の名牝ミツルと優駿がズラリの良血グランドマーチス。さらにさかのぼれば母系はプロポンチスに劉達する。明治40年、小岩井農場が輸入した日本の球礎牝馬の1頭。フロポンチス。名血なのである。小岩井農場は岩手の山麓にある。遠い遠い母方の故郷・岩手県で余生を過すことをとの時点で誰が想像しただろ普通、障害入りする馬の多くは平地では見通しがつかなくなったときである。しかし、一歩。6月の函館競1521月53年 月3昭和49年春,グランドマーチス,伊藤修司調教師,寺井千万基騎手の名トリオは中山大障害4連覇の第一歩を印した。25
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