本田靖春氏アマからも挑戦させたらだし。そ「カッコイイー」。(笑)ったですね。か、知ってもらうことが先ですから。教したものも参加して:.。このことは真剣に考えていいでしょうね(笑)じことなんですがね。ごまかされてしまうんです。(笑)問きる。フランとなると、例えば大レーす」、「障害を高くし、数をふやす」、が「馬手」です。しかし仮に「馬丁」ょうね。(苦笑)的じゃなかった。しませんとね。しい。もちろん表面だけではない。ように、「オロス」といった言葉、さらには昔は「馬丁」、それが今では「厩務員」といいますね。その前という言葉がいけないものだとしても、その本質が昔のままであれば同感に弱いところがある。それですぐ題はその言葉の背後にある「思想」ですよ。やはり表面だけではないイメージ付けが必要ですね。を狙って障害レースを印象づけるべきですよ。例えば中山大障害とか京都大障害とかの限られたレースを除けば、その他の障害レースはほとんどが「障害ステークス」とか「障布特別」といった名前ですからね。これじゃ味気ないですよ。「フジノオー記念」とか「グランドマーチス叫念」とかがあっていいんです。かに番組名を変えることなど、一番早く実行できますからね。まにか日本人論まで言及しちゃいましたね。(笑)しかしすぐに実行でスの前は見習騎手戦が行なわれることが恒例のようですし、それなりの意味もありますが、その時に障害レしていく体制が欲の競馬全体の問頌があります。馬が均一化されたというか、馬の個性が雑菫されなくなったというか、スピードばかり要求されますね。種牡馬なんかでも、ほとんど姫距離系が中心ですし、長距離でスタミナがある馬では勝てないような傾向もある。本田障害でも、年日はスピードのある馬、スビードはなくても飛越のうまい馬が趾ざって、展開も面白かすと、いくつかの貨胴な、あるいはの姿勢ですね。たしかに替では予想が、これが将来も続くかといえば断定できない。むしろ数字的に見れば売上げも頭打ちの傾向があるし、やれハイセイコー、タケホープといったようにマスコミによって作られたプームという感じもないではない。競馬関係者が後手、後手で動いていースをやってもいいでしょうね。やっぱり多くの人に見てもらうというでアマチュア・ジョッキー制もいいでしょうね。学生馬術も盛んなようやっている男が、「中山大障害に一度出てみたい」と語ったこともありますが、現在は無理でも将来その方向に進んでいけば面白いでしょう。しろ馬術ファンばかりでなく、今の暴走族ですか、オートバイを乗り回している連中なんかは、主にスリルとかスビード感を求めてああした行助をとっているようですので、案外「俺も挑戦しよう」なんてことになり、健全な青少年の育成にも役立つことになる。そして優勝したら賞金なんかは全部寄付しちゃう。それこーも負けてられないし、刺激になります。馬も大学の馬術部あたりで調をもって考えていかなければ、障害界の未来は明るくないですよ。ンは絶対について行きませんから。ですが時間が参りました。貴重なご慈見有難とうございました。楽しい意見がでましたが、実は昭和43年に私も「障害の将来はどうなる」といった小論を優駿に書いたことがあるんです。その時に指摘したことが、例えば「障害レースをふや「障害専門の騎手の育成」とか、本日の座談会と大旨同じようなことを溢いたんですが、結局状態はその当時と変わっていないということでしはないのでしょうがね。やはり禎極るようなところですし、むしろ「守りの姿勢」というべきでしょうか。第一これだけの需要というか、場外発元所が混雑しているのに増やすこともしない。普通の商売では甜要があれば喜んで対応するんですがね。れば、今のような混雑はなかったでしょうがね。むろんファン自身も一人一人が地域住民に対し、迷惑をかけないという自覚がないと。仁義に欠けるような人が多くなりました。ですからこれらを含めて、競馬全体をイメージアッ。フする方向に、禎極的にPR赤木なにもしないということで宇佐美地元の住民の意志を尊巫山野最初からたくさん場外があ西野たしかに競馬ファンの中に山野赤木さんが最初に言われたも、名前が変わったからといって本田日本人は言葉というか、晶山野だから逆に日本人の弱い所西野アラブも同様ですね。たし赤木障害を考えるから、いつの山野そういった背景には、現在宇佐美これまでの話を整理しま本田話がそれますが結局受け身できなかった競馬の盛況ぶりです山野障害界にカツを入れる意味宇佐美そう、私の知人で馬術を本田凄い人気になりますよ。む西野そうなるとプロのジョッキ赤木とにかく関係者全員が熱怠本田惜熱のない世界には、ファ宇佐美まだまだお話は続きそう... 13
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