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t'しJ、0のだ。(原文のまま)PRの芸術だと一・ムはれますが、ウネビヒカリといい出した。美しい言葉だ。馬を托すのだ。ない||」と、だけ云った。ミングもいい。嘆息するだろう。と答える。゜想に驚いた。一人だからである。゜゜の時代が来た。言したことすらある。(実物へのヒソト模型まで提出した)百五十円の例その他)と増額すること。あれほどた舟レース、ジ会には創設の名袴はあるが、はじめは,t誌(二十円か三十円)を日本中央競馬会が絡につき、内容を、客と共に充実させるべき、歯切れのよい企画断行しかも、石坂理事長以下、あまりに細心にまるで受身のように汲々と改良策を気にしているのを見て、僕は指名モニターの会厳で、競馬会は、客に対する最低義務の充実を計ればいいのであって、あまり受身に、弱腰になったり、神経質になる必要は少しもないと発〇犬皇賞を年一同、競走場は東西交互、最重賞レースとする0馬券発売を回転式に改めて混雑を避ける〇売店の不信用(牛乳二十五円、劣悪弁当0無料配布のレース案内をやめて、輿味、有益内容の「優駿」と併行させる。おそらく専門紙一紙以卜持たない客はなく、現行の無料配布レース案内のたよりは、馬主名が記載されていることのみ。僕は「勝馬」にすすめて、馬名の脇に馬主名を入れさせたが、作戦上便利がある0日刊新聞各社記者を中心に、クラブを作って、研究費その他優待して遊んで貰う。中央公論、新潮、岩波、講談社その他出版社が数ある中で、文芸春秋が何となく客との問に活気あるのは、内容の愚劣は別として、文士劇とか、漫画家その他を取交ぜた地方講荻会その他「遊び」に力を尽くしていることも他山の石とし〇リーディング・ジョッキイの賞金をぐっョッキイのことを気にしながら、専門紙転車ー合、増額して一万円、現在は実際はどうか。おかしな話だが、創設の名脊を市んじて、専門紙会買一点、日本競馬会澗宜百万円なぞというのは如何゜さうして、思いついたことを並べて見たとしても、どれも簡単に出来ることで、競馬会や、お歴々が碩を抱えるような難題は一つもない筈だ。銀座サービス・セソター(名前が恥かしくて目を覆うだろう)の飲食スタソドの寒々しさなぞ、これを書いている時ちょうど荒木由太郎さん(ダービー社長)からお招ばれがあるが、大川慶次郎さんを後援して、「ダービー」という競篤愛好者開放クラブ式の楊所が出来るが、きっと必ずはやるから見て見るといい。サービス・センターの寒々しさと客自身が比較して、判定すると思う。これなぞも、モニター会識で何皮か、口のすっばくなるほど具体例で改革をすすめて来た。しかも、競馬会は、売店は利権制度ではないこんどの火皇賞で、一脊に感心させられたのは、予想であった。日刊スポーツの橋本邦治さんの、前日の解説なぞ、レースが済んで見ると、まるで観戦後配ほどハッキリ的確な昔、僕の友人で、毎日新聞のパリ特派員をやった榎本桃太郎というのが居て、印度で死んだとされているが、卜海事変の時、行く船の中で観戦記を書いて社に送り、功労章を貰ったりした無茶な奴も居たが、それとこれとは違うと云へ、本当に今度は、切離して別に二早設けて、各紙、専門紙、一斉の見事な予大川痰次郎さんは、ハクズイコウを本命に、シンザソとの6|7一本に絞ると書いた。ハクズイコウの、距離未経験その他を云云されている中で、大川さんがあれだけハクズイコウを買い、ハクズイコウがあれだけ走った強さを思うと、予想の中で、やはり男気あることであった。且つ、私見では、大川さんは競馬評論家として立派であると思った。僕は、大川さんが、なるべくは「予想屋」でなく、飽くまでも、競馬評論家だと思いたいその、ハクズイコウを、愛する保田騎手で出走させた長老尾形藤吉さんが、シソザンを称してひと言、ー—サラブレッド中のサラプレッドと洩らした言葉も美しい。曾て、野平省三さんが、愛するウネビヒカリを評して、サラブレッドというのは、人間が造った蔽悩う馬はさういう馬ですと語った、その愛を思ミハルカスだって、さ着に残るためには、とばかりは云いたくない。加賀騎手にして、勝つために、いまは無心のせいいつ。はいの馬なりに賂けたのだろう。強い。強い。僕は森安弘に注意してヤマドリを中団に追って熟視したが、いいところあった。兄弟愛美しい森安重の御するクリベイにも注意して見た。健闘であった。美しい天皇賞レースであった。それにしても、バドックで、シソザンをひく中尾馬丁の、あの明るい微笑は何だろう。わっか数分後には泣き出すくせに、おやぢ(武田調教者)や、柴田騎手への信頼にこの馬主の楠元さんの言葉もいい。かうなると何もかもよくなってしまうんだろう。「ーー有馬記念に出走させるのでせうとか、外国遠征はなぞと云はれても、私は、武田調教師にすべてを任かせた。私は何も云え武田調教者と紅緑との関係、弘前に原籍を持ち、北洵逍で暮らしたことのある僕には随分、親近惑がある。俳句の吐き出し方やタイシンザソをめぐる、すべての関係者の祈りと努力を一たん伏せて、人々は言葉も忘れて僕は、ジソザソのことは、おそらくこれまで天皇賞を拝受した人々皆も、心からおめでとうを云っているに違いないと思った。ー幸運だなあ。36 ·,1•―瀾'

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