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~゜こ、言葉だ。犬皇賞は一一孟一度負越すまでは転落しないのも上等な制度似たりだ。から云い出すのではない。万円なら、年一同、ガでもいいと思う。フロマイド写ー具をくれとは決して一9ムはない。ービー一レースの売上げが――千ガ円もあるさナカ01力゜て。フロ野球、日本シリーズの優勝チームのヒここで天皇買の箕金増額なぞを.ムいだすわH本一を争うんだと思っ1勝馬の華千万から五千それにつられて割振りとして、有馬記念でも安田記念でも(将来はかかる大変革をやっていただいて石坂記念でも)いろいろしかるべく楽しくあっていいと思うのだ。何となく恙なく、悧例で施行して、イソフレにつれて賞金を増額して行けばいいものとも思はない。熱烈に競馬を愛好する、そして競馬をスボーツとしていまよりも拡大したいと思っている一個の客である僕の意見だ。そして、なぜ、僕らは、自分たちのことを客、客と云ってファソと云はないかというと、ファンでないわけは、人気芸能人やゼニ集めのうまい政治家の囲りに染まり、身ゼニを切ってテープを投げ、床跨み嗚らし、キャア、キャア叫ぶ手合とは全然完く違う。僕らは日本中央競馬会の客なのである。だから僕ら客は、日本中央競馬会に、ファンとして、何かサイソをして貰いたいとか、ただ、日本中央競馬会が、客、しかも何かにつけて有料客であるものに対して、最低の義務を尽すことを望んで来た。サービスなんていう言葉は、ま、つはじめに、妓低の義務を果したあとで、過分な惰義を及すときに使うしかし、日本中央競馬会は、われわれ客の見るところでは、現、石坂郎廿良時代にはいって、はじめて、会と客とのつながりに、設も真剣に改革し出したのを視実に、日で見ている。ともすれば、これまでの坪市長は、社会的バランスに於て、会の「存在」「#亡」「存続の政治活動に多忙に過ぎた。それらの人々の大きな功組は、客に対するよりも、まづ、会の予算の自立までの苫労面、云はば聞拓面の功労者たちであった。試に思へ。ダうだと、やっと銀ジャリを喰うことにありついた一般国民の楚異であったその「額」さえ、つい最近のこと、近年のことではなかっる相撲も、いまでは協会でも、評論家たちも甫大な謬りを犯して知ッかぶりしている点がある。それは千秋楽の日に、役力上の呼び方に、現役の通称の位置が何であれ、小結にかなうで矢をいただき、関脇にかなうで絃をいただき、大関にかなうで弓をいただく、つま三役の厳存をハッキリ認めるならば、大関がであって、大関にして、心技共に勝れ、人格識見、崇高なまでにつとめたものは横網に列すべきで、極論すれば、引退の前日でも、引退後でも、追贈でも、天と客とが納得するであろう。かつて軍人は、大将であって、特に功労のあった大将を元帥府に列したのと同じである。いま協会の時沖風理事長以下、天龍、神風、最低高橋義孝評論家に至るまで、横綱に「店を張らせ」て、強弱、取口を云々しているのはコッケイに属する。栃ノ海の成紹がどうあろうと、三役制(いま四役扱いにして、千秋楽だけ三役にすり特えているバカバカしさ)の在り方の本義に徹するならば、引退も本人の心の自覚の意義にこそかかれである。また、客が見て、あれほど箕而目に大関を尽した栃光なぞ、星ゼニ勘定によらず、当然、横綱に列すべきで、この理と人情のわからない、横綱審議会なぞ、あだかも衆院に対する参院のアイマイ不甲北文なき制疫にさもさて、ここでは相撲や国会は例であって、競馬の客は、天屯買の仕組みをどう見ている結論から云うと、火皇買は、昔で云へば火長節(天鬼誕生記念日)に`一年、一回、競走湯は東西交互、レースロ収闘賞金で行った方がいいと思う。これは決して、僕が右利きだ天皇買に関しては、あらゆる広告は勿論、スポーツ紙、専門紙なぞでも、「競走馬一代の栄袴」と歌っている。それはそれでいいのだが、春秋二同である必要はない。る。ダービーの賞金を簾くせよと云うと語弊で僕はダービーは、大学卒業記念レースだといつも云って来た。どう考えても、ダービーまでであたら馬を成していいとは思えない。菊池寛の応州転化名語「無事是名馬」のように、個馬としても競走馬としても、その生命力の最も充実した時機に、全能力を発押させてくれることが客としては当然な望みであある。大皇買レース賞金は、年一回にしてたまげるほど増額すべきと思う。ダービーを軽んずる意味は毛頭ないし、逆である。僕が大学卒業記念レースとよく云って説明して来た(説明が必要であったことは、ダービー一レースだけで数億円の売上げを見る隆盛を見るようになった今日ですら、ふだん競馬に親しんで居ないダービー客は、往々にして、ダービーというのは、明け四歳の制限レースと知らず、牡馬牝馬年齢を問はず、何でもかんでもている人も多いからだが)それも、英国をはじめ外国と共通の「ダービー」というレース名の怠義と、賞金日本一のムードを伝え聞く世問一般の誤解から来ているのである。必ずしも適切な例ではないが、ダービかな惑伐は、往年の六大学野球の俊勝チーム、そしてそのヒーローの華かな浴光に似て屈やしないか。繰返すようだが、僕はダービー姦少評価論をしても居なければ、軽視もしていない。しかしやがて社会人となり、転じーロー、そして監将こそ、天皇賞に匹敵するものと断言したい。余談だが、プロ野球のオーナーでもある永田雅一さんの節岡獲得に賂けた情熱は、競走馬の世界でも、やはりいかに犬皇宜を大切にしたいかを最も身近かに感じて屈る一人といえないか。けは、そのことによって、競走鳥関係者が、いまよりは、四寂以後の古馬のいのちを大切にすると思うからだ。ゼニの額までムっては恐縮だが、ダービー(但し今日相均で)一千鳳■-置lり三役の位というものが厳存している。その35

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