菊岡久利(詩人)つながる話ばかりである。の案内。ハソフレットのアソケートに答えて、是毀人」を競馬に転Jilして「無事是名馬」と度外視で「たまには負けないかな」と思い、わけは樫山純一ーベさんもほしい意向があったよ天皇買は、シソザソが征した。昭和四十年秋季、第五十二回「天皇賞」レースは、シソザソが異様な複雑などよめきの中に、しかし、静かに征した。こんどの天良質を拝観して、これまでにない索直な感動を党えた。天声謡只とは期くの如こんどの天皇買を書くことは、シソザンを誤えることに尽きると思うし、シンザンが、セントライト以来の夢見るような、冬の虹のような三冠馬であって見れば、ようやくエピソードも訊り尽されているが、僕らの心にまで、探い印象を炉えたものは、まず武田文吾調教師のツンザソ下駄の創作や、栗田騎手が見習時代に、先甜騎手の騎乗を見て、ゴール近く、何馬身も離して先頭切っているにもかかわらず、猶且つ鞭をいれて追っているのn分で北つき、菊花賞前のジソザソ夏負け時代、すべてを克服した「無事是名馬」への逍。人問て奴は不思議なところが一種のたのしいところで、実生活では、毒気のない意地悪が巾を利かす。本手だけでは飽き、足りず、適当な変態が常態となる。こんなことを云いだすわけは、シンザソは客にあまり好かれていない。いやいやながらそれは相撲でも、大鵬の場合に当てはまる。いやいやながら、本平ーは、大鵬だって立派なものなのだ。あんまり強いと、成絨なぞ「大鵬なんか負けちゃえ」まで、安心して憎たらしがられたら立派なものなのだ。相撲で制度のことを惑じたから、天皇賞の制度のことにもふれたいが、日本の同技であを、将来n分なら、ああいう勝ち方をしまいと思った話なぞ、すべて馬の生かし方に深く僕はいつかダービーのための、中央競馬会ダービーだけの飯駿だったダイゴホマレ(僕はこの馬の野性的な荒々しさが好きだった)なぞの例をあげて、ダービー馬の菊命をいかんせん、と書いて調教者はじめ関係者に、ダービー馬が(敢えて三冠とは云はず)天皇買レースの活躍馬たらんことを客はのぞんでいるんだと指摘しておいたことがあった。菊池究が、ジナの名む回い格言である「無事して機転の名を挙げたが、木当に、海道日高で一見シソザソを買う(一見と害<し)たまたま馬主となった稿元さんとの結び・.......‘ .きものか。゜9゜ 遂に立派なものだ。34
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