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●清洲(きよす)特別
清洲は、愛知県西部に位置する地域。平成17年に同じ西春日井郡に属していた新川町、西枇杷島町と合併し発足した清須市の一部であり、名古屋市のベッドタウンとなっている。戦国大名・織田氏勃興の地である清洲は、岐阜街道の宿場町として発達し、清洲城は弘治元年(1555)から永禄10年(1567)まで織田信長が居城とした。
●長久手(ながくて)特別
長久手は、愛知県のほぼ中央にある市。名古屋市に隣接しており、徳川家康と豊臣秀吉が戦った小牧・長久手の戦いの古戦場がある。また、平成17年に開催された愛知万博の開催地でもあり、多くの観光客が訪れた。現在は跡地に「愛・地球博記念公園」が建設され、万博の事績が残されている。
●白川郷(しらかわごう)ステークス
白川郷は、岐阜県北西部、大野郡の庄川上流域の一帯を指す。かつては秘境であったが、第2次大戦後に6つのダムが建設され、特に日本屈指の規模を誇るロックフィルダム・御母衣(みぼろ)ダムが建設された後は、道路整備などに伴い観光地化が進んだ。平成7年12月には当地特有の『合掌造りの集落』がユネスコの世界文化遺産に登録された。
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●美濃(みの)特別
美濃は、岐阜県中南部の市。長良川と支流の板取川の流域にあり、長良川の谷口集落から発達した。紙の原料となる質の良い「楮(こうぞ)」が周辺で採れたことから、古くから美濃紙の産地として栄えた。
また、岐阜県の中南部を占める旧国名。東山道8か国のひとつで、18郡に分かれた大国であった。
●尾頭橋(おとうばし)特別
尾頭橋は、名古屋市を流れる堀川に架かる橋。由来は諸説あるが、約1400年前に雷のお告げで生まれた男児の頭をヘビが二巻きし、そのヘビの尾と頭が後方に垂れ下がっていた事に由来し、後にこの男児は鬼を退治し、道場法師として農民に愛されたとされる。
なお、尾頭橋駅はJRAの場外勝馬投票券発売所であるウインズ名古屋の最寄り駅である。
●サマースプリントシリーズCBC賞(GIII)
本競走は、昭和40年に創設された重賞競走。第1回は砂1,800mの競走として施行されたが、幾度かの変更を経て、56年に現行の芝1,200mとなった。その後も短距離競走路線の改善に伴い、施行時期や競走条件が変更され、現在のGIII・ハンデ戦として施行されている。
CBCは、昭和25年に設立された中部日本放送株式会社の略称。JNN(TBS)系列の放送局で、本社は愛知県名古屋市。本競走は、同社からの寄贈賞を受けている。
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●沓掛(くつかけ)特別
沓掛は、豊明市東部の町名。同市にある中京競馬場の近くに旧鎌倉街道が通っており、宿場の店で軒に沓を掛けて売っていたことから沓掛という地名になったと伝えられている。
●賢島(かしこじま)特別
賢島は、三重県志摩市の英虞湾内にある島。伊勢志摩国立公園の中心地。湾の北岸とはおよそ20mの水路で隔てられている。真珠の養殖が盛んで、鉄道路線が通っていることから交通の便も良く、観光地として賑わっている。
●関ケ原(せきがはら)ステークス
関ケ原は、岐阜県南西端、伊吹・鈴鹿両山地に挟まれた小盆地で、岐阜県不破郡の町名。奈良時代には、軍事・交通上の要地で、愛発(あらち)、鈴鹿とともに古代3関のひとつである不破の関所が置かれた。また、中山道・北国街道・伊勢街道の分岐点にあたり、宿駅が置かれた。現在も鉄道・自動車交通上の要地である。
慶長5年(1600)、天下分け目の戦いと称される「関ヶ原の戦い」が繰り広げられた場所として有名。
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●御在所(ございしょ)特別
御在所は、三重県三重郡菰野(こもの)町西部にある鈴鹿山脈の主峰。標高は1,212m。御在所岳または御在所山ともいう。鈴鹿国定公園に属し、山頂に通じる大規模なロープウェイや展望台が設けられ、平坦部にはシャクナゲの群落も見られる。ロッククライミングに適した岩場(藤内壁)が有名。
●木曽川(きそがわ)特別
木曽川は、長野県中西部の鉢盛山に源を発し、飛騨川と合流して伊勢湾に注ぐ川。長さ229km。上流は木曽谷の峡谷で、中流域の峡谷は日本ラインとよばれる景勝地。下流では輪中が見られる。長良川・揖斐川とともに木曽三川と呼ばれ、灌漑・水力発電などの水資源として重要な河川である。
●東海テレビ杯プロキオンステークス(GIII)
本競走は、平成8年に創設された重賞競走。当初は4月中旬に施行されていたが、12年から6月中旬となり、それに伴い出走資格が4歳以上から3歳以上へ変更された。なお、18年より7月上旬に移設され、ローテーションの改善が図られている。
プロキオン(Procyon)は、こいぬ座のアルファ星で、シリウス、ベテルギウスとともに「冬の大三角形」を形作る恒星。
東海テレビは、愛知県名古屋市に本社を置く放送局。昭和33年開局で、FNS(フジテレビ)系列。本競走は、同社からの寄贈賞を受けている。
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●渥美(あつみ)特別
渥美は、愛知県の南部にある半島。三河湾を隔てて知多半島と対置している。温暖な気候に恵まれ、マスクメロン、イチゴの産地として有名。半島の南西端に位置する伊良湖岬は春の菜の花、夏の海水浴と毎年多くの観光客が訪れる観光スポットでもある。
●御嶽(おんたけ)特別
御嶽は、長野・岐阜両県境にそびえる標高3,067mの活火山。飛騨山脈南部にある。火口跡は残っていたが、昭和54年に有史以来初めて噴火した。中央火口丘の剣ヶ峰に御嶽神社がある。古代から信仰登山の対象とされている。
●桶狭間(おけはざま)ステークス
桶狭間は、愛知県豊明市と名古屋市にまたがる地域にある古戦場。永禄3年(1560)、今川義元は駿河、遠江、三河の大軍を率いて上洛を目指し、織田信長の前衛拠点を次々と攻略して桶狭間に進出した。このとき信長は少数の兵をまとめ、風雨をつき、義元の本陣を奇襲し大勝した。
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●志摩(しま)特別
志摩は、旧国名のひとつ。東海道に属し、現在の三重県東部、志摩半島の鳥羽市、志摩市にあたる。また、三重県、志摩半島南東部の市。英虞湾の複雑なリアス式海岸を利用した伊勢海老や鮑などの漁業や真珠養殖が盛ん。
●知多(ちた)特別
知多は、愛知県南西部の半島である知多半島、または同半島北西部に位置する市を指す。
知多半島は、三河湾を隔てて渥美半島と対置しており、西の伊勢湾と東の知多湾を分ける。半島の基部の西側は名古屋南部工業地帯、東側は衣浦臨海工業地帯で、半島沿岸の工業地帯化が進んでいる。
知多市は、北は東海市、東は東浦町・阿久比町、南は常滑市に接し、西は伊勢湾に面する。沿岸部の工業地帯には発電所や製油所などがあり、内陸部ではで米、麦、園芸など農業も盛ん。近年は、名古屋市のベッドタウンとしても発達している。
●ジュライ(July)ステークス
ジュライは、英語で7月のこと。古代ローマの軍人、政治家、文筆家であったジュリアス・シーザー(Julius Caesar)の出生月に由来している。
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●高山(たかやま)特別
高山は、岐阜県北部の市。飛騨地方のほぼ中央、高山盆地の中にある。中心市街は金森氏の城下町として発達し、江戸時代後期には天領となった。優れた風景と碁盤目形の街路などから、「飛騨の小京都」と呼ばれている。陣屋前や宮川沿いで行われている朝市には多くの観光客が訪れる。木工業が盛んで、合板、家具などを生産し、一位細工や飛騨春慶塗が特産。また、乗鞍岳や上高地などへの登山口でもあり、春秋2回行われる高山祭も有名。2005年の市町村合併により、日本一の面積を誇る市となった。
●香嵐渓(こうらんけい)特別
香嵐渓は、愛知県豊田市にある渓谷。ここでは矢作川支流の巴川と足助川が合流している。渓谷には、江戸時代初期の寛永年間(1624〜1643)に付近の香積寺の僧が植えたという数千本のカエデがあり、清流と紅葉の名所となっている。
●飛騨(ひだ)ステークス ※「飛騨」は旧字
飛騨は、旧国名のひとつで、岐阜県北部の市名。際立った山国のため、律令時代は調庸(納税)の代わりに飛騨匠(木工)が徴発されていた。また、中世後期に佐々木氏や京極氏が守護となり、近世になって金森氏が高山城を築いたが、元禄5年(1692)以降は徳川幕府が郡代を置いて天領とした。
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●スポーツ報知杯中京2歳ステークス
本競走は、昭和35年に『3歳優勝競走』から改称され創設された競走。本年より、夏季の2歳馬競走充実の観点より、12月から7月に移設され、芝1,400mで施行される。なお、平成10年より読売新聞中部支社から寄贈賞を受けている。
●有松(ありまつ)特別
有松は、名古屋市緑区の町。旧東海道の茶屋集落として栄えた。名産品の有松絞は、東海道を往来する旅客の土産品として珍重され、昭和50年には県下第1号の伝統的工芸品に指定されている。現在でも当時の面影を残した豪壮な町家が建ち並んでおり、多くの観光客が訪れている。
●近代競馬150周年記念サマーマイルシリーズトヨタ賞中京記念(GIII)
本競走は、昭和28年に行われた『中京開設記念』を翌年に改称して創設された競走。中京競馬場で最も古い歴史を誇る重賞競走である。
本年は1,600mのハンデ戦となり、本年より施行される「サマーマイルシリーズ」の第1戦として施行される。
なお、本競走は、トヨタ自動車株式会社より寄贈賞を受けて施行される。
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