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昭和49年(1974年) 第48回中山記念
ハイセイコー VS トーヨーアサヒ
甦れ、昭和の怪物! |
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昭和40年代の終わりに空前の大ブームを巻き起こしたハイセイコーは、日本競馬史上、最も人気を集めたアイドルホースだった。大井競馬でデビューからの6戦をすべて圧勝し、鳴り物入りで中央に転入。初戦の弥生賞当日には話題の馬をひと目見ようと12万余の観客が詰め掛けた。中山競馬場は人で溢れ返り、なかには外ラチから芝コースへ押し出されてしまった人さえいたという。そんな大観衆の眼前で快勝したハイセイコーは、さらにスプリングS、皐月賞、NHK杯と勝ち進んで国民を熱狂の渦に巻き込んでいった。しかしダービーで連勝はストップ。勝ったのは「ハイセイコーが4本脚なら、タケホープも4本脚だ!」の名台詞で有名な、嶋田功騎手のタケホープだった。
深い嘆息を誘ったダービーを境に、ハイセイコーは勝ち切れないレースを重ねていった。名誉挽回を誓った菊花賞はタケホープにハナ差敗れ、有馬記念も伏兵ストロングエイトを捉え切れず3着。明けて翌年(昭和49年)初戦のアメリカジヨツキークラブCではまたもやタケホープの軍門に降る結果となった。だが、雪辱のチャンスは続く中山記念にあった。舞台はこれまで2戦2勝の中山1800メートル、宿敵タケホープも出走して条件は整った。ここからが、ファンの待ちに待った復活劇の始まりであった。
スタートしてポンと飛び出したのは、前年のダイヤモンドSとステイヤーズSをレコード勝ちしたトーヨーアサヒ。これを見ながらハイセイコーは2番手を追走、タケホープは中団に身を置いた。4コーナーを回り、最後の直線で内を突いたトーヨーアサヒに対し、ハイセイコーは外からの真っ向勝負。前日からの雨をたっぷり含んだ不良馬場での力比べで、パワーの違いは歴然だった。2着トーヨーアサヒに大差、3着タケホープにはさらに1馬身半の差を開いて、ハイセイコーが久々の勝利に快哉を叫んだのだった。
この後、宝塚記念のレコード勝ちを上積みしたハイセイコーは、同年秋に史上初の2億円ホースとなった。また、引退レースの有馬記念では5馬身差でタニノチカラが圧勝したにもかかわらず、観衆はハイセイコーとタケホープの激しい2着争いに沸いた。勝っても負けても人気の中心にいた伝説のアイドルホース。在りし日の雄姿は、現在、故郷の新冠、デビューの地・大井競馬場、皐月賞の舞台となった中山競馬場にそれぞれ建立された馬像から偲ぶことができる。その瞳が見据える先には、昭和という激動の時代に生きた日本国民の夢があった。 |

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第48回中山記念
中山競馬場 1800メートル(芝・右) 晴・不良・9頭 |
| 着順 |
枠番 |
馬番 |
馬名 |
性齢 |
斤量 |
騎手 |
調教師 |
タイム/着差 |
人気 |
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1
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7
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7
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ハイセイコー
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牡5
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58
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増沢 末夫
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鈴木勝太郎
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1:52.1
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1
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2
|
2
|
2
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トーヨーアサヒ
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牡6
|
56
|
小島 太
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古山 良司
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大差
|
8
|
|
3
|
1
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1
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タケホープ
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牡5
|
58
|
嶋田 功
|
稲葉 幸夫
|
1 1/2
|
2
|
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4
|
4
|
4
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イナボレス
|
牡6
|
55
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宮田 仁
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大久保末吉
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アタマ
|
6
|
|
5
|
8
|
9
|
オンワードガイ
|
牡7
|
55
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小林 常泰
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森 末之助
|
2 1/2
|
4
|
|
6
|
6
|
6
|
サンヨウコウ
|
牡6
|
55
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野平 祐二
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宮沢今朝太郎
|
クビ
|
7
|
|
7
|
5
|
5
|
シブノスター
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牡5
|
54
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赤羽 秀男
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仲住 芳雄
|
3/4
|
5
|
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8
|
3
|
3
|
ヌアージターフ
|
牡5
|
54
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白石 一典
|
橋本 輝雄
|
クビ
|
3
|
|
9
|
8
|
8
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ストロングナイン
|
牡5
|
54
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中島 啓之
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奥平 真治
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1 1/4
|
9
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| ※馬齢は旧年齢表記 |
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2008.3.1 レーシングプログラム掲載 |
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