顕彰馬 紹介

希代の名馬 トサミドリ

希代の名馬 トサミドリ  太平洋戦争終結後、日本の馬産の中心だった名門・小岩井農場が育馬事業から撤退すると、隆盛を支えた繁殖馬は次々と売却され、各地に散らばっていった。三冠馬セントライト、帝室御賞典馬クリヒカリらの母フリツパンシーも、名種牡馬プリメロの仔を宿して青森の盛田牧場へ移動。そこで生まれたのがトサミドリである。
 昭和23年の秋にデビューしたトサミドリは、その血に違わぬ素晴らしい活躍を見せた。通算成績は31戦21勝。皐月賞と菊花賞は衆望に応えて2馬身差の圧勝を飾り、生涯に10度のレコード勝ちも記録している。ただ、ダービーと天皇賞には縁がなく、ダービーは大逃げの末に7着と敗退。天皇賞も3度挑戦したが、落馬競走中止、2着、5着と、いずれも残念な結果に終わっている。抜きん出た能力を持ちながら、至高の栄誉には手が届かなかったことから、当時の人々はトサミドリを悲運の馬と呼んだ。
 一方、種牡馬としてのトサミドリは掛け値なしの名馬であった。自身の勝てなかったダービーをコマツヒカリが、天皇賞をキタノオー、トサオー、ガーネツトが制し、有馬記念に優勝したホマレボシは年度代表馬に選出されている。中央競馬の産駒勝利数は内国産第3位の1135。その数字は今なお、同馬の偉大さを雄弁に物語っている。

血統表

トサミドリ
牡 鹿毛
昭和21年5月20日生
生産 青森・盛田牧場
調教師 望月与一郎(札幌)
→稗田虎伊(札幌)
馬主 齋藤健二郎氏

プリメロ
1931 鹿
Blandford Swynford
Blanche
Athasi Farasi
Athgreany

フリツパンシー
1924 黒鹿
Flamboyant Tracery
Simonath
Slip Robert le Diable
Snip

通算成績 31戦21勝
主な勝ち鞍 皐月賞、菊花賞
主な産駒 キタノオー〔朝日盃三歳S、菊花賞、天皇賞(春)〕、ガーネツト〔天皇賞(秋)、有馬記念〕、ホマレボシ(安田記念、有馬記念)、トサオー〔天皇賞(春)〕、コマツヒカリ(東京優駿)、キタノオーザ(菊花賞)、ヒロキミ(菊花賞)
昭和59年顕彰馬選出

黄金の脚 メイヂヒカリ

黄金の脚 メイヂヒカリ  駿馬の脚は、しばしば名刀の切れ味に例えられる。初代グランプリホースのメイヂヒカリは、佇まいの美しさ、末脚の冴えから“日本刀”に例えられた優駿である。
 父はダービー馬のクモハタ。母シラハタはプリメロ産駒で、日本の基礎牝系のひとつであるビユーチフルドリーマーの流れを汲む。そんな良血に違わず、東の伯楽・藤本冨良調教師のもとデビュー6連勝を飾るが、主役と目された春のクラシックは飛節を痛めて断念。その悔しさを秋の菊花賞にぶつけ、ダービー馬オートキツと人気を二分したレースを10馬身差で圧勝し、世代ナンバーワンの実力を証明した。翌年は天皇賞(春)と、第1回中山グランプリ(後の有馬記念)に優勝。満場一致で昭和31年の年度代表馬にも選出された。現役引退に際しては、東京競馬記者クラブの企画により、中山競馬場で中央競馬初の引退式も行っている。競馬のオールスター戦として創設された有馬記念の初代優勝馬らしく、大勢のファンに愛された馬でもあった。
 種牡馬転向後は輸入馬の活躍にも押され、現役時ほど華やかな実績を残せなかったメイヂヒカリだが、後に産駒トシマンナの娘トウメイが、天皇賞(秋)と有馬記念に優勝。その仔テンメイも天皇賞(秋)を制し、名馬の血の優秀性を改めて証明している。

血統表

メイヂヒカリ
牡 鹿毛
昭和27年3月24日生
生産 三石・大塚牧場
調教師 藤本冨良(東京)
馬主 新田新作氏
→新田松江氏

クモハタ
1936 栗
トウルヌソル Gainsborough
Soliste
星旗 Gnome
TuscanMaiden

シラハタ
1945 黒鹿
プリメロ Blandford
Athasi
第四バツカナムビユーチー ダイオライト
バツカナムビユーチー

通算成績 21戦16勝
主な勝ち鞍 朝日盃三歳S、菊花賞、天皇賞(春)、中山グランプリ(有馬記念)
主な産駒 ミオソチス(サンケイ賞オールカマー、東京盃)、ハーバーヒカリ〔目黒記念(春)〕
平成2年顕彰馬選出

2012.10.13 レーシングプログラム掲載

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